2014年 07月 22日
2014 OSJおんたけウルトラトレイル100K
文字通り、100kmのトレイル(林道)を走るレースです。
日曜の晩の0時にスタートし、制限時間は20時間。3つの関門をクリアし、その日の晩の8時までに戻ってこれれば完走です。
また、同じ会場で100マイル(約160km)のレースも同時開催されます。100マイルは前日20時スタートで制限は24時間。
100マイルの方は、誰でも出場できるわけではなく、過去に100kmで14時間を切った方にエントリー資格があります。いわばエリートランナーの部。
土曜の朝8時半に友人と出発。
最近ずっと仕事が忙しくてレースの準備が出来ておらず、金曜の晩に最終の準備をするつもりだったのですが、
金曜も仕事で遅くなり、ワインも2本あけてしまい、断念。
翌朝(出発日朝)5時半に起きて準備開始。
バタバタとバッグに放り込んで何とかセーフ?
3連休の初日ということもあって、途中、渋滞に巻き込まれましたが、話をしながら行くとそれほど渋滞も気にならず、意外とすんなり中津川ICへ。
そこから国道で1時間半くらい走ると、受付・スタート・ゴール会場の松原スポーツ公園へ到着することができました。
安全運転で行ったうえ、途中、SA、道の駅で休憩・買い物したり、ICを下りてから、道中でそばを食したり(絶句するほど美味しくなかったが)、寄り道をしながら行きましたので、到着は3時ごろ。。
受付は行列もなく、20秒で終了。
個人的には、黄色の参加賞Tシャツが素材もデザインも良くて気に入りました。
各社のブースも出ていて、一通り見て回ります。
HOKAラーの私としては、型落ちでもSTINSON EVOが11000円で購入できたのが大収穫(写真の右端)。
ちょっと耐久性に難があるHOKAは、普通のトレランシューズに輪をかけて消耗品なのですが、1足2万円以上もするのでなかなか手を出しにくい。
今回も、足裏つるつる、つま先めくれ、外側は穴があいたシューズで走ったのです!
現場に私のサイズ(27cm)だけが残っているのを見て、やはり神は私の日頃の行いを見てくれていたんだと思いました。
日頃の行いの良い私。
たいがい、自分のサイズだけがないもので。。
宿泊予定の民宿(みやまさん)へ。
このレースは、毎年コース変更が行われているそうなのですが、今年は去年からスタート場所が変更となり、スタートとゴールが同じ場所(松原スポーツ公園)になりました。
そのためかどうかわかりませんが、かなり駐車場周りにには、テントを張っている方が多かったです。
走ったその日に帰るつもりの方は、わざわざ民宿に泊まる必要はないですからね。
12時まで車中やテントで過ごし、ゴール後、そのまま帰ればよいわけです。
食事、ボリュームがあり、美味しくて良かったです。
部屋は、食堂や浴室がある本館?の横の別棟。
我々の部屋は10人くらいだったかな。
布団が引いてありましたが、布団と布団の間は十分に隙間があって、バッグを広げるスペースも十分あり、詰め込まれ感は全くありませんでした。
大部屋は、初めて会う方と会話が出来て、それはそれで良さがあります。
なお、問い合わせの際、ご主人は、親切すぎるくらい親切に色々と教えてくださいました。
基本、エリートランナーが泊まる宿であることを強調されます(笑)
実際そのとおりでした。
男性風呂、洗い場3つ。シャワー1個!!!!!!!!(これはぜひ改装してほしい)
16時半に風呂、17時に夕食、19時までゼッケン付けやら、第2関門で受け取るデポバッグ準備やらを行い、19時過ぎに無理やり布団に入る。
これまで、シューズのインソールを家に忘れてくるなど、数々の失態を演じてきましたが、今回は、防寒着を入れたスタッフサックを家に忘れてくるという大失敗。
凍りつきました(結局、上着だけですが友人に借りることが出来、事なきを得ました)。
周囲がガサゴソしているのと、微妙にスタート前で高揚していること、普段寝ている時間では無いことなどから、なかなか寝れません。2時間半後の21時半に起床。
22時15分に宿を出ます(駐車場渋滞を恐れ、早めの移動)。
宿とスタート会場間は、およそ10分~15分。
荷物を預けて、車中で寝ころんでスタート時刻を待つ。
車を出る直前に私の中でのイノキボンバイエである家入レオをiPhoneで流し、30分前にいざ。
スタート前に神主さんのお祓いがありました。
選手全員で2礼2拍手1礼。
頭にライトを付けている選手が神妙にやるのが面白い。
カウントダウンののち、ファ~~~~~~ンというサイレンとともにスタート。
夜明けまでは暗闇の中を走るつもりでしたが、最初のうちは、前後に選手がいますので、意外と明るいです。
自分のライトは消して走っていました。
序盤は抑え気味に。
↓ 第1小エイド(20km地点)。
正直、スタート直後から、調子悪かったです。
そもそもナイトを走ったのが、昨年の夏に六甲で数時間、9月に信越五岳で走ってきりで、今回が未だ3回目。
夜は早く寝なさい、と子供のころから躾けられてきた私は、大人の夜の遊びには向いていないのかもしれない。
ずっと胃が圧迫されているような、胸焼けしているような違和感。
この後、第1関門(33km地点)まで、ひたすら我慢しながら走っていました。
ジェルも補給食も何も体に入れられず(結局ジェルはスタート時8個、デポバッグに8個入れたのに、取れたのは1個だけ。グミ2個、お菓子2口と後述するおにぎり1ヶ、第2関門のオレンジ数個、やきそばパンとレッドブル、コーラ、第3関門のそうめん1杯だけでゴールまで走りきった。。)。
第1関門は、標高1550mくらいの地点にあり、腰を下ろしてエイドのおにぎりを食べていると、冷えてきて震えてきました。
毛布にくるまって横たわっている選手もかなり(10人以上?)おり、眠気と寒さはやはり過酷。。
低体温症になるんとちゃうかと思いましたが、不思議とリタイアは考えず、友人から借りた防寒着を着てとりあえず次の小エイドまでは行ってみようと関門を後に。
自分が準備していたスタッフサックは下半身の分も入れていたのですが、当然ながら借りられたのはたまたま友人が余分に持ってきていた上半身のみ。しかもゴアでない、普通のウィンド(でもこれが無ければ絶対に無理だったわけで、友人には感謝の気持ちいっぱいで走りました)。
忘れ物をした自分を責めながらのリスタートです。
そういえば、このとき、地図も落としていたことがわかったのでした。
地図がないと、自分がどこを走っているのか、次のエイドまで何kmあるのかわからない状態で走ることになりますので、きついです。
スタッフの方に次のエイドと次の次のエイドまでの距離を教えていただき、それを頭に叩き込んでスタートしたのでした。
5時前くらいから明るくなってきました。
胃の圧迫感は取れず。。
14km先の小エイドで一個グミを口に入れることができました。
その後の第2関門までが自分にとっては運命の分かれ道でした。
睡魔との格闘。
徐々にじゃなく、いきなり来るものなのですね。
三浦貯水池周辺から、平坦とダラダラした上りが続き、緊張が解けてしまったからでしょうか、どうにもこうにも、眠たくて進めない。
目の前が白黒してきて、千鳥足で蛇行したり(ストックで倒れるのを防いでいる状態)、道の端っこで数秒うずくまったり、傍らの岩がベンチに見えたりして、10分で100mくらいしか進めないような状態になりました。
もちろんそんな状態で走ったこともありませんから、どうしようかと苦しんで歩いていると、たまたま、そこに同じように眠気と闘って座っている女性選手を発見。
眠たいです~、さっきから蛇行してます~と泣きを入れると、眠気覚ましに話しながら行きましょうか~ということになり、そこから延々と一緒に進むことになりました。
その方は東京からの参加ということでしたが、実家は宝塚で、私が普段よく走っている地域の近くにお住まいという偶然。
昨年も出られたというこのレースのこと、今年出場されたというUTMFのこと、今後出場予定のレースのこと、関東のトレラン事情、普段所属されているチームのこと、トレラングッズのことなどを色々と教えていただき、自分はまだ初心者なんです~などと会話をしていると、徐々にに目が覚めました。
不思議。
会話をすると目は覚めるのね。
ペースがほぼ同じだったので、苦しい距離帯(50~70kmあたり)を長く(20km以上?)を一緒に進めたのが気が紛れて自分的には大きかったです。
感じのよい方だったな~。
この大会は天然エイドステーションがあります。
冷えててめちゃめちゃ美味しいです。
基本、先が見えるコースです。
弱ってると苦しいです。
70km付近から、先に行かれて下さいと言われ、再び一人で走り始めました。
このころには胃のむかつきは解消され、メンタルは完全に回復し、傾度の低い上りなら走れました。
時計を見ると、今から本気で走ったら14時間切りが狙えるかも!?
第2関門で、タオルで汗を拭き、上半身を着替え、事前に準備をしていたやきそばパンを1個、レッドブルを2本、上述の選手に頂いたコーラを0.5本飲み、たぷんたぷんになりましたが、それも落ち着き、気力がみなぎってきた感じ。
長い長い下りを経て、第3関門(82km地点)には11時半過ぎに到着。
あと18kmを2時間半弱で走れば14時間が切れるという頭がありますので、そうめんを掻き込み、私設エイドを出していただいていた方からコーラを頂いて、滞在5分で出発。
地図がないということは、距離もわかりませんが、高低図(断面図)が無いということで、これがつらいんです。
これから先、上るのか下るのか、上るとして上りは何回あるのか、その距離はどのくらいか、下りは何キロ地点でやってくるのか、その距離はどのくらいか、わからない。。
私は第3関門の先は下り基調、とだけ勝手に思い込んでいたもので、第3関門の直後からの強烈な上りは、聞いてないよ~、とひとりごとを延々。
正午が近づいてきて、太陽が照りつけ、地面からの蒸気と照り返しで消耗させられます。
やっと90km地点。上りが終わりそうな雰囲気。この時点で12時45分くらい。
残り10kmを1時間15分でオレは行けるのか、と思いながら、とにかく下りは絶対に止まらない、最後まであきらめない、という強い気持ちをキープ。
最後の小エイドからはロードでずっと下りと思っていたら、微妙に登り坂だったりして、あきらめたい気持ちになりかけました。
最後の小エイドでゴールまで7kmと言われましたが、小エイドに着いた時点で、1時25分くらい。
キロ6分でも間に合わないやん、、
ということで、無理かな、と思いながら進んでいました。
でも、後悔したくないので、間に合わないことがはっきりするまでは粘ろうと思い、次の目印まで走る、その目印が来たらまた次の目印、と目標の変更を繰り返しながら苦しい最後のロードを進んでいきました。
すると、いきなり見覚えのある最後の橋が!
渡りきった時点で残り12分!!
間に合うや~~~~ん!!!!!
その辺から先は、選手や応援の方がたくさんいて、お帰り~14時間切り行けるよ~最後頑張って~と声をかけてもらえました。
橋をわたったあとに200m程度の上りがありますが、もう一息なので頑張れます。
14時間、き、切れた。。
今年から40代男子。。。。。
昨年の情報を見ていると、コース変更で実際は95kmくらいしかなかった?と言われているようですが、今年はスタート位置が松原スポーツ公園になり、ほぼ100kmあったはず。
粘った自分、自分に克った自分に満足。
この競技、他人との勝負ではなく、自分との闘いなのがミソなのです。
何ともいえない達成感。
これがあるからやめられないっ!
チーム仲間も無事完走し、いったん宿へ帰り、風呂に入って再び会場へ。
走っている友人には申し訳ないと思うことは全くなく、芝生のうえでビールと焼き鳥。
一旦宿に帰り、晩御飯を頂いたのち、8時半から開催されたフェアウェルパーティにも参加しました。
事前のリサーチでは、アルコールは出ないと聞いていましたが、同部屋の方からアルコールが出るらしいという情報を得て、飲む気満々でシャトルバスで三たび会場へ。
じゃんけん大会では、1発目で賞品をゲット。
商品めちゃめちゃ良かったです。
レース翌朝。
御嶽神社にお参りしてから帰ることに。
自分にとっては、今回も記憶に残るレースになりそうです。
つらいし、眠いし、トイレもエイドも少ないし、走っている最中は決して楽しくはないのだけど(何せ延々ガレなので)、参加してよかったとゴールした後には思えました。
スタッフの方々、ボランティアの方々は、非常に温かくて、段取りもきっちりされていて、さすがだと思いました。
14時間が切れましたので、レギュレーションの変更が無い限り、来年の100マイルの挑戦権を得ました。
沢山の仲間から言われていますが、来年、100マイルには、
出ません。
絶対無理です。
(追伸)
100kmのリザルト。
第3CPから頑張ったことがわかる。