2013年 09月 22日
信越五岳トレイルランニングレース110km 2013 レース当日
前夜は目覚ましを3時にセットし、10時に就寝するも、1時半に目覚めてしまい、その後、どうしても寝られない。。。
悶々としながら横になっていると、同宿の選手たちが動き始めるのが聞こえてきました。
ちなみに、ペンションが集まっている第5駐車場から、スタート会場へ向かうシャトルバスは、3:40発、4:10発、4:40発の3本しかありません(ちなみにスタートは5:30)。
最終を逃すとスタート会場まで走っていかねばならない(数kmはある)というのはかなりのプレッシャーです(レースというより、むしろこれで寝られなかったか)。
いそいそと自分も最終準備開始。
シャワーを浴びて、服を着て、ニューハレを貼って、足裏にガーニーグーを塗りこむ。
その間は、アンパンを食べながら、アミノ酸を溶かしたOS-1を飲む。
同宿だった仲間、ペーサーのHさんらと無事4:10発のバスに乗ることができ、4時30分にはスタート会場へ到着。
昨晩ウェルカムパーティの会場だったハイジが朝食会場です。
既に会場は選手、ペーサー、同伴の応援者でごったがえしていました。
メニューは、菓子パン、サンドイッチ、おにぎり、牛乳、ジュース、コーヒー、スープなどなど。
皆で腹ごしらえ。
でも自分は昨晩暴飲暴食をしたこともあり、しかもこんな早朝からがっつりは食べられません。
おにぎりはHさんに譲りました。
トイレを済ませてスタートゲートヘ。
男子トイレは長蛇の列。
ある程度、早めに動くことが大事。
スタート直前。
ドキドキです。
ちなみに、レース前に作った想定タイム表は↓
制限時間22時間のところ、かなり希望も加味して19時間に設定しました。
19時間は、昨年の完走者の真ん中くらいのタイムで、ありえないと思いながらも少し負荷をかけようと。
ペーサーのHさんにも、この表をメールで送って、午後4時頃にHさんの待つ5Aに着くと思う旨伝えました。
それが余計に自分にプレッシャーをかけることに。。。
※ペーサー:直接的な走行補助行為(手を引く、体を押す、けん引など)以外のサポートをしながら伴走するランナー。選手の荷物を持ったり、補給を手伝ったりといった物理的なサポートだけでなく、叱咤激励などの精神的なサポートを行います。
皆で掛け声をして、カウントダウン、そしてスタート。
自分の中では石川さんのアドバイスどおり、3Aまでは絶対に飛ばさない、最初のゲレンデの上りは歩く、とにかく抑えて、と決めていましたので、真ん中後方よりスタート。
スタート1kmくらいでやってくる上り。この辺は皆歩いています。
でも早歩きを心がける。
スタート地点の真上に応援ポイントあり。
仲間のOさんが撮影してくれた写真。
見栄をはって走る図。
天候はすぐれませんが、それでも良い景色。
1Aに向かう林道。
昨年の斑尾はこの辺で嫌気が差していましたが、今年は淡々と。
1A直前に見える野尻湖。
遠くに見える黒姫山のその向こうに走っていくわけです。。
斑尾山頂直前に20km地点あり。
この辺は淡々と。
斑尾山頂到着。
この辺は昨年の斑尾トレイルとの対比しながら自分の体を見ていましたが、ほとんどダメージの無い自分に驚き。
去年はこのあたりで既にかなりつらかった。
ゲレンデの激下りを経て2A(23.9km地点)へ。
この激下りは、絶対に飛ばしてはいけないと誰もが言っています。
自分も特に慎重に、膝に負担をかけないよう、ゆっくりゆっくり下りました。
それでも1回転倒。。
やはり下りは下手だなぁ。。
2Aを出て袴岳へ向かう。
トイレ休憩を入れて、2A滞在時間は6分。
袴岳の取りつき付近(上り)でハチ騒ぎ発生。
何でこんなとこで渋滞してんねんと思って前の人に尋ねると、スズメバチの巣が木の根元にあるらしく、スズメバチがブンブン飛び回っているとのこと。
自分も前に行ってみると、おっきいのが飛んでるやん!!!
前の選手が意を決して一人で通り過ぎようとダッシュして行きましたが、5メートルくらい行ったところで、
「痛てぇ~~~!!!!!」と叫びながら遠くへ声が小さくなっていきました。
これはいよいよ進めない。。。(まさにムンク状態)
後ろからだんだん人がたまってきて、その場で皆で相談し、まずは皆、ザックからジャケットを取り出して着始めました。
その上で、巣のある木の根元は、トレイルの右脇にあるから皆で一斉にトレイルのなるべく左を駆け抜けようということになりました。
黒は刺されやすいとどこかで聞いたことがありますが、私のジャケットは薄い水色。
「いっせいの~で」で、選手15人くらいが上りを一斉に駆け出す。
自分の人生の中で、一番のロケットスタートだったと思います。
数mで何人か抜きました。
自分はセーフでした。
おそらくこの一斉に走った15人くらいはセーフだったと思われます。
ハチから逃げ切ったと思われるところに少し開けた場所があったのですが、そこにハチにさされた選手たちが野戦病院のような状況で手当をしていました。
ポイズンリムーバーを持っている選手が、刺された選手に貸してあげたりといった素敵な光景が。
自然の道を走る訳ですので、こういうこともあるわけですが、ハチはどうしようもないですね。
何かそのまま立ち去るのも申し訳なく、大丈夫ですか~などと声を掛けたりしていましたが、自分はリムーバーも持ってないし、何も助けることもできないので、刺された方を気の毒に思いながら刺されなかった他の選手と先へ進みました。
色々ありましたが袴岳山頂。およそ30km。
丁度山頂に着いたとき、係員の方がハチが出た模様、と本部?に伝えていたので、まさにハチ騒ぎが起きたときに自分もそこへ出くわしたようでした。
あの後、どうなったんだろう。。
そして、そこから長い長いトレイル、林道を経て3A(38.5km地点)到着。
到着時点では、かなりへばってました。
本当に最後まで行けるんやろうかというかなり下降気味の気持ち。
しかし、冷やしトマト、温泉まんじゅうを頂いたり、コーラを飲んだり少し休憩を入れると気力復活。
3A滞在時間は10分。
いよいよ、信越五岳でよく語られる関川沿いの長い砂利道に入りました。
この道は日陰がなく、昨年は暑くて熱中症になる方が続出したそうですが、今年は小雨。
忍耐と根性ですすみました。
歩いている選手が多いですが、自分は9割がた(スピードは遅くとも)走りました。
水を積み過ぎて重たかったことから、ハイドレの水を捨て、前のフラスクだけで対応。
名物私設エイドにもお世話になりました。
これが見えてきたら関川沿いロードは終わりだと聞いていたのでほっと一息。
ここで頂いたジンジャエールと凍らせパイン。
一生の思い出になるくらい美味かったです。
ありがとうございました。
いよいよ再びトレイルへ。
4A目指してもうひと踏ん張り。
少し行くと、こんな素晴らしいトレイルが!
個人的には丸太の橋は苦手。
長い長いトレイルをさんざん走って、ようやく4A(51.5km地点)が見えてきました。
4Aでは、淡々と食料(笹寿司はしっかり頂く)と水を補給し、すぐに出発。たしか救護があったかな。
滞在時間5分。
4Aは第一関門です。
4Aを出ると、すぐにゲレンデ直登。
せっかくエイドで回復した体がすぐに疲労状態に逆戻り。。
振り返ると遠くに自分が走ってきた斑尾山、袴岳が見える!
お~!こんなに走ってきたのかと、自分に感動。
ゲレンデを上がりきったところにコスモス畑。
精神的余裕なし。
カメラマンの前だけ走りました。。
4A~5Aの区間は、はっきり言ってつらいです。
永遠に続くかと思われるダラダラ上る林道。
歩いている選手がかなり多くなってきます。
自分はずっと歩くのではなく、走ったり歩いたりを繰り返しながら進んでいきました。
このあたりでは見知らぬ選手とも声を掛けあって励まし合います。
ブログで自分が一方的に知っていた六甲を走っておられる選手とも初めてお話しすることができました。
こういうのってロードではなかなか無いことですよね。
60km地点。
やっと行程の半分を超えたという感慨なし。。
林道が終わるとトレイルに入るのですが、林道でかなり足と気力がやられていますので、走れるトレイルが逆につらいんです。。
走っても走っても5Aに近付かない、折れかけた区間でしたね。。
ブログなどでよく見かける吊り橋到着。
前日のガイダンスでは、一度に選手は2人まで。歩いてくださいと言われました。
自分は律儀に守ろうとしましたが、明らかに前の選手は走ってますね。
おいおい!と1人突っ込みを入れてました。
おかげで揺れる揺れる。。
この土管みたいなミミズみたいな物体の横の激登。
鬼です。
滑り止めのツブツブマットが逆に滑ります。。
登りで滑るってどういうことよ、と思いたくなる急登ですので覚悟が必要。
トレイルをかなりのスピードで下ってきたあと、テクニカルな岩場の下りを経てのこの登りは堪えましたね。。
後ろの女性選手にも追い立てられました。
少々粘りましたが、登っても登ってもピークに達しません。
小さなプライドは横において先に行ってもらいました。
そうこうして、牧場の牛を横目に見ながら辿り着いた5A(66.6km地点)。
辿り着いたエイドの中では、誰もが一番だという感想を持つでしょう。
人が多くて賑やか。
5Aが見えたとき、最低限のHさんへの責任は果たせた、とほっとしたことを思い出します。
しかし!!
着いたら大歓迎してくれるはずのペーサーHさんがいない!
駅伝でタスキを渡す際に次の選手がいなくて右往左往しているのをよくTVで見ますが、自分もキョロキョロしながら5A内を歩く。
5A直前は飛ばして入ってきているので、いないのはつらいな~などと思ったりもしましたが、とりあえず気を落ち着かせ、ポケットに入ったジェルのごみを捨てたり、必要なことをしていました。
するとどこからかHさんが駆け寄ってきてくれた!
実は、ドロップバッグを予め取って広げておいてもらうよう伝えていたのですが、ドロップバッグの受け渡し場所がてんやわんやの状況で、なかなかドロップバッグを貰えなかったとのこと。
Hさんには、私がキョロキョロしながら歩いているのが見えていたそうで、気が気ではなかったそうです。
5Aではシャツと靴、ソックスの交換をする予定でしたが、靴、ソックスは調子がよかったので交換はしないことにし、シャツだけを交換。
前半ですべて消費したジェルを再び補充し、カロリーメイトを2個食べ、飲める限りの水分を補給。ライト、予備電池をザックへ。
選手SさんのペーサーのOさんとHさんの二人がかりで寄ってたかってお世話して頂き、慣れてない自分は恐縮。。
↓ Hさんに世話してもらっている図。
周囲を見ていると、イスあり、ピクニックシートあり。
なるほど、アシスタントがいるとこういうこともできるんだな。
そしていよいよ2人で出発。
5A滞在時間は15分。
ちなみに、5Aは第二関門です。関門時刻は18時。
↓ 5A直後の急階段を上ったところから撮影。左が乙見湖。遠くに見えるのが5A。
ここからは2人で進める。
新たなエネルギーが湧いてきます。
1人で黙々と走るのと、2人で雑談をしながら走るのとでは、全然違います。
心強さは×2ではありません。
×1000000。
5Aを出た時点では、幸いなことに多少の筋肉痛以外はいつも痛くなる膝も異常なく、これなら行けそうだという感触がありました。
ただ、Hさんは11時前には5Aについて、2度も3度もアップしていたそうで、エネルギーも有り余っています。
自分は5Aでいったん休んで筋肉が固まってますので、走れるようになるまでに少し時間がかかりました。
まずは私が先に走って、このくらいで行ってほしいというペースを把握してもらうようにしました。
5A~6Aも長いです。
黒姫山の上り、辛いです。
進んでも進んでも上りは続きます。
しかもだんだん暗くなってきますので、心理的にも下向きになりがちです。
自分は、このあたりは無心の境地に入っていました。
文字通り、頭の中には何もなし。
ただ足を一歩一歩踏み出していく。
ちなみに黒姫山はピークを踏みません。
途中で右に折れて下りに入りますので、景色を見ることは出来ません。
この下りに入るところにいたボランティアの方が本当に元気で、遠くまで聞こえる大きな声で選手を励まされていたのが印象的でした。
「ここから下りで~す、頑張ってください~」という声は天使の声に聞こえました。
でも、実はそこから下りオンリーという訳ではなく、アップダウンが結構あったのですが。。。
トレイルを抜けると、長~~~~~~~い、林道とお付き合い。
最後トレイルになったかな。
6A(81.0km地点)へ到着。
ここにも冷やしトマトが!
あと、塩の効いたしゃり玉が美味しかった!
このエイドでライト装着。
私はヘッドライト、腰ライト、ハンドライトの3つで行くつもりでしたが、Hさんに先行ってもらえることからハンドライトはとりあえずザックに入れて2個態勢で出発(結局7Aでハンドライト点灯)。
6A滞在時間は20分。
トイレで異常に蚊に刺されました。
(教訓)虫よけ必須。
6Aを出たときには、もう真っ暗。
写真が撮れなくなりました。
しばらく車道を進み、途中から木道へ。
木道をしばらく進んだら、戸隠神社の奥社参道へ出ます。
この奥社参道は、今年の6月のトレイルレースの翌日、歩いた場所。
ここを真っ暗の中、自分たちのライトで進むというのは、とても感慨深いものがありました。
ちなみにこのあたりはかなりダメージが来ていて、走り6、歩き4くらいの割合で進行。
そして7A(87.0km地点)到着。
自分の気力は大丈夫。
確かここでは温かいスープを数杯頂いた記憶が。
滞在時間5分で7Aを出発。
しかし、何故だか30メートル進んだところでアクシデント発生。
急に!足が上がらなくなりました。
お尻の筋肉に電気が走るような痛みが走り、右の太ももが上げられなくなったのです。
わずか5分の滞在で何が起こったのかわかりませんが、とにかく止まると筋肉は硬直を始めるのかもしれません。
後半のエイドを出るときは、ゆっくり歩きからスタートして筋肉がほぐれてから走り始めた方が良いと思いました。
自分なりにストレッチをしようと思いましたが、お尻の筋肉のストレッチってどうやったらよいかわからないし。。。。
ここまで来たのにリタイアか~と絶望的になる自分と、歩いてでも這ってでもゴールまで行ってやるという自分。後者が勝っていました。
とりあえずゆっくりゆっくり歩きながら様子を見る。
全く良くならず。。。
そのとき、ふと、「そういえば痛みどめ持ってないんですか?」とHさん。
ロキソニン投入。
思いきって2錠。
効果てきめん。
↓7A
お尻復活。
走り7、歩き3くらいで先へ進む。
6月の戸隠トレイルレースで走った道が8Aへ向かう道でした。
Hさんも私もそのレースに出ていましたので、そのレースの思い出話をしながら走りました。
8Aは大きなエイド。
応援の人も沢山いて、トイレも簡易トイレではなく、建物内のものを利用できます。
そして楽しみにしていたお蕎麦。
胃がやられて食べられない選手が多いと聞いていましたが、自分は何故だか全然平気で完食。
補給もたくさんして、いよいよ、ゴールに向けて出発。
ゴール後、ここを9時15分に通過できなかった選手は、ここをゴールとする措置が取られたと聞きました。
台風の影響で警報が出たとのこと。
その先へ行く気力、体力があった選手、特に関門時間を想定して体力を割り振ってきた選手は無念だったと思います(本来の関門時間は24時ですので、2時間45分も繰り上げられたことになります)。
8Aを出てからしばらくのトレイルは、あまりにもmuddy。グチャグチャ。ドロドロ。
ところどころ、田んぼを走っているようなイメージ。
靴のカットの上まで沈み込みますので、体力も気力も消耗しました。
そして、最後の難関、瑪瑙山。
100km近く走ってきての激登は、皆さん、言うことは同じですが、本当にキツイです。
気力を振り絞って一歩一歩、脚を前に出して行くしかありません。
そしてやっと着いた。
瑪瑙山のピークを踏んだら、1回小さな上りがあるだけで、基本は下り基調。
淡々と走りました。
この段階でも走れている自分に驚き。
自分はこのレースに出るまでの、人生最長記録は、昨年の斑尾トレイルレース50kmだったわけで、4Aの時点からは人生最長記録を更新し続けてここまで来ていた訳です。
そしていよいよ100km到達。
最後のウォーターエイド。
ウォーターエイドということで、水だけしか無いのかと思っていましたが、水以外の飲み物もあり、かなり充実していました。
ここで、スタッフ?ボラ?の方に、今まで50kmまでしか走ったことがなくて、今日は自己記録更新中なんです~と言ったら、とても驚き、応援してくれました。
「すごい、まだそんなに選手過ぎて行ってないし、速い方ですよ~」
俄然やる気出る!
ウォーターエイドを出て残り7.2km。
よく思い出せません。
ただ、残り3kmの地点で、Hさんが、今17時間40分であること、18時間まで20分で行けば17時間台が出せることを教えてくれました。
「どうしますか」と。。。。。
Hさん、(暗くなってからはずっとHさんの足元を追いかけて走っていたのですが、)ぬかるみや木の根、枝、段差、階段、岩などがあると、都度、「~があります。気を付けて」と注意を促してくれました。
しかもそういう場所では、自分のハンドライトを後ろに向けて、私の足元がより明るくなるように気を使ってくれました。
そのおかげでHさん、自分が小さなガケに落ちたりも。。
その上で、瑪瑙山を抜けて自分も疲れているのに、私のタイムまで気にしてくれていたんです。
そこまで、本当に感謝の気持ちで背中を追いかけていたのですが、そのタイムの話を聞いて、一瞬だけうるっときました。
「キロ6分ちょいか~。厳しいな~。でも行けるとこまで行かせてください。やれるだけやってみます。」といって、そこから自分が前へ。
110kmの中で、最後の3kmが最も速かったと思う、激走。
Hさんはペースが落ちないよう、ずっと励ましながら、付いてきてくれました。
そしてゴール。
正式タイムは、17時間55分39秒。
総合成績(リザルト)
必ずこういう場面で涙が出てくるのですが、何故でしょう、今回は涙なし。
むしろ、充実感、充足感、とてつもないことをやり遂げたという自分に対する自信、といったものに満たされながらHさんと手を高々と掲げてゴールしたのでした。
大会プロデューサーの石川さん、ボランティアの皆さん、その他今回の大会に関わった皆様、素晴らしい大会をありがとうございました。
今回は台風が迫る中、運営側としても苦汁の決断をされたことと存じますが、選手やスタッフの安全が最優先ですから、その勇気ある決断は、称えられるべきだと私は思います。
そして、何より、一緒に走ってくれたHさん。Hさんのフェイスブックを見ると、相当な重圧だったみたいで、申し訳ない気持ちになったけど、自分にとっては最初から最後まで自慢のペーサーでした。1人ではとても完走できなかった。本当にありがとう。