2013年 04月 23日
雪の長野マラソン
東京、大阪に次ぐ人気を誇る長野マラソン。
苦労して出場枠を手に入れた(といっても厳密にはクリックしただけですが、これが大変)こともあり、楽しみにしていました。
しかし、天気予報を何度見ても雨。。
テンション低めで新大阪を出発。
名古屋で特急しなのに乗り換え。
この時間帯ですので、登山に向かう人もおらず(天気予報悪いし)席はガラガラ。
小説に没頭していると、あっという間に長野駅到着。
お!構内でイベントが!
とりあえず受付を済まさねばならないので、シャトルバス乗り場へ。
片道大人200円也。
シャトルバスは沢山待機していて、すんなり座れ、出発。
特急に乗っている間は小説に没頭しながらも、ちらちら窓外の天気をチェックし、途中まで晴れ間も見えており、天気予報外れるのでは!と期待したりもしましたが、長野駅が近づいてくるにつれ、雲行きが怪しくなり、長野駅に降りるころにはとうとう本降りに。。。
受付会場のビッグハット。
電車内でツイッターを見てみると受付会場すごい人、などというツイートが流れていましたが、自分は全く並ぶことも無く受付完了。
どのマラソン大会のときも思いますが、受付で頑張ってくださいと言われると、素直に嬉しくなります。
ありがとうございます!頑張りまーす!と答えてしまう自分。
一応、エクスポも見て回りました。足の攣りに効くという乳液のようなものを衝動買いしかけましたが、我に返り、自重。
「長野マラソン神社」なるものもありました。
参拝しようかなと思ったりもしましたが、受付の方と目が合って、逆に入りづらくなり、
1人参加ですので、何とは無しにぶらぶらしていたのですが、ここに来た証を残そう!とふと思い立ち、普段は書かない寄せ書きに決意表明してみたり。
ホテルにチェックイン後、少し時間があったので、せっかくだからと善光寺まで雨中の散歩。
土曜からかなり寒くて、凍えそうになりながらのトボトボ散歩でした。
足も疲れ、何やってるんやろうと思いながらのお参り。
結局、晩御飯を食べる店が見つからないこともあり(なかなか良さげな店をみつけられず。居酒屋は沢山あるのですが、前日なので、飲まない1人居酒屋には個人的に抵抗がある)、1時間弱、寒い中、長野の夜を彷徨い歩いていました。
結局、蕎麦かよ、
ああ、蕎麦ですとも。
翌日の準備をしながら天気予報チェック。
これを見たときのテンションの低さ。
すかさずカメラで撮影しているのをみると、逆にテンションがおかしくなっていたのでしょうか。
翌朝。
レースは8時半スタートで早いのと、スタート会場まで電車で一駅行かなければならないこともあり、4時50分起き。
寝る前は雨がしとしとと降っており、どうか止みますように、と祈って眠りについた訳ですが、朝、淡い期待を抱いてそ~っとカーテンを開けると、、
そこは雪国。。。。。。。。。。。。。。。。。(この写真は駅前でわかりにくいですが、窓外は真っ白。積もってます)
でも何故だか不思議と中止になるかもとは思いませんでしたね。
この状況で走るしかないなと淡々と準備を開始。
昨年の全く同じ時期、とくしまマラソンを暴風雨の中走ったのですが、、、
足裏にマメが出来て大変なことになったこと(靴の中が濡れるとマメになりやすい)、低体温症で何人もリタイアしたことを思い出し、足裏のマメ対策と防寒対策を考えました。
選手は、受付時にもらった乗車整理券で、JR線に無料で乗車できます。
スタート会場最寄りの北長野駅。
(何月やね~ん。)
スタート会場の長野運動公園に到着。
参加者案内によると、北長野駅からスタート会場まで徒歩約15分と書いてありましたが、雪の中、路面には雪が積もっていますので、歩くスピードは必然的に遅くなり、もっとかかったような。。
しかも、レースシューズ、レース用ソックスは、まだ走っていないのにびしょびしょ。。
(教訓)雪の際には、スノーシューズでスタート会場に行き、スタート会場でレース用ソックスとシューズに履き替えること。
(但し、できれば、この教訓を生かす機会は今後訪れてほしくない)
いつものようにカメラを持って走ることも考えましたが、降雪の状況からしてカメラの性能維持上問題があろうかと思ったことと、おそらく手がかじかんで撮影どころではないだろうと思い、カメラは荷物預けへ。
何とも残念ですが、はっきり言って、撮る場面なかったですので(前半大雪、後半強風)、この選択は正解でした。
スタートブロックにはスタート15分前に入らなければ、最後尾に回されますので、20分前に入りました。
スタート時の気温0.4℃、15分じっと待つと芯まで凍えます。
スタート直前には招待選手の紹介があり、川内選手に対する拍手がひときわ大きいのは予想どおり。
レースが始まると、最初はダンゴ状態で路面が見にくいですので、とにかくシャーベット状の雪や水たまりをなるべくよけながら、転倒しないことを心がけていました。
2キロ程度走れば前方が開けてきますので、あせることはなく、あとは淡々と。
最初の500メートルから体が重く、調子悪いな、と思いながらの出だしでした(ちなみに、ウォーミングアップ、ゼロ! 屈伸しただけ)。
最初は防寒対策に来ていた百均のレインコートが効いており、寒いんですけどそれほど寒さを感じないというよくわからない体感。
結局32キロもレインコートを着たまま走りました。
30キロ前後で雨(雪)がやみ、風にあおられて走りにくいのでもういいだろうと、32キロの給水所で捨てたのが失敗。
よく考えてみると、風があるということは、冷えた体を守る必要があるので、むしろレインコートは着ておいた方がよく、せめて捨てずに丸めて持って走るべきでした。
35キロ付近から正面から強風を受けることになり、冷え切った体へのアゲンストの風はどうしようもなくつらい。
寒い、冷たい、痛い、進まない、やめたい、歩きたい、と色々湧き出てくるマイナスの感情。
最近のランニング時マイブームソング、家入レオ「shine」を無理やり頭の中で回転させ、追い払う。
ここで粘れたのが結果的に2度目のサブ4をもたらしてくれました。
ラップを見ると、最後大崩れしていないのが、あのつらいコンディションだったのに、自分でもよく頑張ったと思います。
最後の5キロは、およそキロ6分で行けばサブ4だということがわかって走っていましたので、ひたすら粘った感があります。
本当に色んな意味で苦しかったレースですが、ゴールした瞬間、全てが最高に思えてきます。
福田六花先生の言葉を借りると、「その瞬間、苦しくて長かった時間が、最高の時間に変わった。」
このありえないコンディションの中、沿道では考えられないくらいの応援を頂きましたし、スタッフ・ボランティアの皆様は献身的な仕事をなさっていました。
素晴らしい大会をありがとうございました。
翌日は10時から法律相談があり、慌ただしく帰宅。
シャトルバスは乗るまでは長蛇の列、乗ってからも渋滞で動かないという、予想外の展開で、予約していた3時の特急はギリギリセーフでした。
帰りの列車予約は少し余裕を見ておいた方がよいですね。
温かくて美味いものでも食べて帰ろうと思っていましたが、あえなくコンビニ弁当となりました。