(前日編からの続き)
2015年9月25日から3日間にわたって開催された、第4回ウルトラトレイル・マウントフジ2015(UTMF2015)。
■スタートまで
3日前から当日まで、期待を込めて何回天気予報を確認したかわかりません。
目覚めてすぐ、外から聞こえる雨音で大雨ということがわかりました。。。。。。
レースは午後1時スタート。
予報では午後から回復傾向ということもあり、止んでくれたらなーと思いながら午前中を過ごしていました。
8時から12時までが荷物預け、12時30分開会式というレーススケジュール。
時間的余裕を考えると昼食を11時前後に食べることになります。
時間が早いのと、微妙な緊張感で意外と食べたい気持ちになれません。
雨の中、11時に開いている店を探してウロウロするのも嫌なので、近くのコンビニで買ってきた牛丼で済ませました。
食べ終えてレースの装いに着替えるころには雨が止み、このままずっと止んでくれればと思いながら会場へ向かいました。
11時50分ごろにスタート会場の河口湖八木崎公園に到着。
雨は止んだまま。
レインウェアを着ないでスタートできそう。
すぐに荷物を預けて装備の最終チェックをし、早めにトイレの行列に並びました。
預ける荷物はA4で受け取るドロップバッグと、無事ゴールして同じ場所で受け取る荷物の2種類。
どちらも不足があってはいけません。念のためと思って入れていくとどんどん増えていき、相当重くなってしまいました。。
開会式の開始には間に合いませんでしたが、スタートギリギリまでトイレに並んでイライラすることもなく、15分前くらいにはスタートゲート付近にスタンバイ。
↓ 雨はポツポツしていましたが、レインウェアを着るほどでもなく、いつもの格好でスタートを待ちました。
↓ 鏑木さんのお話が遠くから聞こえます。
人が多すぎて知り合いを探すのも一苦労でしたが、たまたま会うことが出来たMさん夫妻と号砲を待つことに。
私の位置は、じりじり進んでおり、完全に立ち止まっていたのは4、5分程度だったと思いますので、まぁ、順調だったのかもしれません。
特にイライラすることもなく、周囲のランナーと会話しながらのんびり待っていました。
おかしなテンションの外国人ランナーが「マウントフ~ジ~」と何度も絶叫していたのが印象的。
このあたりは、前後に沢山選手がいますので、マイペースでは走れず、周囲のペースに合わせて走るしかありません。
前後のペースが速すぎるようだと、分不相応な位置にいるわけですが、私の場合は丁度よかったです。
前後を走る選手はほとんど変化無し。
外国人女性選手の後ろをずっと走ってました。
↓ 鳴沢氷穴に下りてきました。
UTMFとは関係のない観光客も沢山。
何事か?という目で見られました。
ロード、トレイルと続いてきます。
東海自然歩道を出ると、A1までしばらくロード。
サブ4程度のスピードの無い私はどんどん抜かれます。
でも先は長いし、序盤で急ぐ必要は全く無いと、とにかくマイペース。
自分にとって心地よいペースで行きます。
今回は100マイル、170km。
序盤はウォーミングアップと思って抑えていかないと、後半つぶれます。
人は人、自分は自分。
↓ ここら辺は、昨年チャレンジ富士五湖100kmで走った道。
仲間のTくんと出場したことを懐かしく思いながら走っていました。
↓ それなりにしんどい思いをしながら、ようやくA1(第1エイド 精進湖民宿村 19.1km)到着。スタートから2時間28分。
精進湖すいとん頂きました。
■A1(精進湖民宿村 19.1km)~A2(本栖湖 31.5km)キロ表示はコース変更前のもの
A1ではトイレにも行かず、すいとんを食べた7分だけ休んですぐ再スタート。
A1からA2はひたすら山の中を登っては下りていたという記憶。
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雨空と山の中ということもあり、トレイルがずっと暗かった。
↓ 途中、パノラマ台に到着しても、何も見えないので、素通り。
誰も立ち止まりません。。。
富士山はどこにあるの?
A2に下りていく中ノ倉山からの下りでだいぶ暗くなってきて、そろそろザックからライトを取りださなきゃーと思いながら、走っていました。
しかし、いい感じで下れていたので止まるのが嫌で、前後に走る選手のライトを利用させてもらって、結局A2までライトを出しませんでした。
足元が相当暗くて、危なかったです。
A1を出る段階で、ライトは頭に装着しておくか、すぐに取り出せる状態にしておいた方がよかった。
走れているときには立ち止まってザックの中からライトを取りだすというのは面倒ですし、粘りすぎて暗くなってきてからライトを出すのはザックから物を落としたりする危険性もあります。
ここは反省。
結果的にケガ無くA2に着けましたが、ライトは早めに点灯すること。
↓ ライト無しで走れるギリギリの時間に2A到着。かなり暗い。
A2では、湯葉丼を頂きました。
この湯葉丼、美味しすぎます!
おかわり頂きました。
この辺りから真っ暗で夜明けまでカメラを出すこともなくなりました。
■A2(本栖湖 31.5km)~W1(麓 46.5km)キロ表示はコース変更前のもの
A2では、トイレ、ライト装着、湯葉丼などを含め、約14分休んで再スタート。
前日に急きょコース変更があった区間。
コース変更があったため、次のエイドまでの距離がわかりません。
まずはA2を出てしばらく、本栖湖を巻くような感じで、延々とロードを走ります。
実際はどうだか知りませんが、体感的には1時間弱は走ったような。。
真っ暗な中、前後に選手が少なくなると、自分のペースが遅くなりがち。
歩きたくもなります。
私のペースより少し速いペース選手が追い付いてきて抜かされましたが、かといって更に先へ離れていかないので、少し無理して付いていくことに。
トレイルの入り口まで後ろを走らせてもらいました。
ロードが終わると、林道っぽい入口からトレイルへ入ります。
ここから本来は竜ヶ岳へ登る区間でしたが、コース変更により、頂上へ上がらず、東海自然歩道を巻くように進みました。
微妙な登り基調のトレイルで、歩きたい誘惑に負ければ歩くことになりますが、走ろうと思えば走れます。
真っ暗のトレイルで前後に選手がいないと、歩きの誘惑は大きい。。
順位的に歩く人がいないのと、道幅が広くありませんので、後ろにランナーが来るとと走らざるを得ません。
結局長時間、長距離を走らされることになり、精神的にも足的にもキツかったです。
周囲の選手も、このA2からW1の区間が走れてきつかったという感想が多かった。
どうにかこうにか長い長いトレイルを抜け、林道へ出ると下り基調なのですが、走っても走ってもW1が現れません。
コース変更があったため、事前に発表されている距離表示は役に立ちませんので、次のW1が累積何キロ地点なのかがわからないのです。
前後に選手がいなくなり、暗い真夜中の林道を一人で走っていると、段々心細くなってきます。
とにかく早く次のエイドに着きたいという気持ちでひたすら進む。
途中、林道から車道に近づく箇所が何回かあったのですが、車道の明かりがエイドに見えてきます。
やったー、エイドや~と思って近づいていくと、単なる街灯であったり、車の光であったり。
ひと気のある車道にすら出して貰えず、手前で方向転換してまた暗い林道を進まされるというのを繰り返していると、どんどんメンタルがやられてきます。
下り基調の林道なのに、最後の方は少し歩いてしまいました。
マーキングテープは要所要所にありますが、顔を上げていないとライトに反射しませんので、下を向いてトボトボという訳にもいきません。
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突如目の前に現れ、「残り300mです、頑張ってください~」と教えてくださったスタッフの女性が天使に見えました。
■W1(麓 46.5km)キロ表示はコース変更前のもの
W1に近づいてきたことは、前に光の筋が点々と灯っている山が見えてきますのでわかります。
このエイドを出るとあれに挑むんや、直登や~、と思いながらW1エイド(麓)に入りました。
コース変更前の距離でスタートから46.5km。
半分心がやられた状態であの山の光の点々を見ると、残り半分のメンタルが更に半分になり、残り1/4しか無くなりました。
ここを出ると、23km先の次のエイド(A3)まで寒くて雨の山の中(と、このときには思っていた。実際は天子に23kmいる訳ではない)と思うと心が重くなります。
これまでDVDで何度も見てきた噂の天子山地。
DVDでは雨は降ってないのに辛そうだったぞ。。
今日は雨。
寒い。
行きたくない。。。。
夜で、休むとすぐに身体が冷えてきます。
エイドにはストーブがたかれていました。
私はエイドに長居しないのがモットーなのですが、結局30分もグズグズし、携帯を取り出して応援メッセージなどを眺めてみたりしました。
A2の関門時刻が延長されたという大会からのメールも来ていて、やっぱり渋滞があったんやなーなどと思っていました。
ちなみに、関門時刻の延長は大会本部から各選手の携帯に送られてくるのですが、選手は携帯を折に触れて見る訳ではありません。
走っている最中は、ザックの中に入れ、防水の袋に入れている選手が大半です。
こまめに携帯をチェックし、タイムリーに関門延長を知ることができる訳ではありません。
しかも今回は手はドロドロで、ザックを下して携帯を取り出すこともままならない状況でした。
関門延長はメールのほか、途中に立って下さっているスタッフの方が来る選手一人ひとりに教えてくれたりすれば、今回のような天候では選手としては助かったのではないかと思います(実際行われていたのかもしれませんが、私は全ての関門延長をエイドで携帯を取り出したときに知りました)。
■W1(麓 46.5km)~A3(富士宮 69.6km)キロ表示はコース変更前のもの
30分休み、意を決し、勇気を出してW1を出ます。
エイドを出るとき、出口のスタッフの皆さんが拍手で送りだしてくれます。
全てのエイドでそうでした。
拍手で送りだされると、すごく嬉しいし、頑張っていってきます!という前向きで奮い立つ気持ちになれます。
W1を出ると、数分で雪見岳への取り付き。
今まで生きてきた中で一番過酷な山登りになるということが、取り付いてすぐにわかりました。
六甲では経験できません。
傾斜がおかしい。
壁?
ここは登るところとちゃうとちゃうの??
本当に道???
トレイル????
よじ登る?????
ドロドロ??????
足を上へ出し、体重をかけるとズルズルっと滑ります。
何かに捕まらないと登れません。
山の上りはなるべく段差・歩幅を小さくして登っていくのが鉄則ですが、ここはとにかく足が引っかかりそうな箇所を探し、時には思いっきり足を広げて、足に力をかけて登って行かなければなりません。
その足が滑る。
何回か、外国人ランナーが上から滑り落ちてきました。
私が滑り落ちれば下の外国人ランナーにお尻を支えて貰い、上のランナーが滑っていれば私が支える。
足だけでは登れない場面も何回もありますので、その都度、両腕の腕力をつかって捕まりながら登っていく。
所々にロープがありましたが、ロープも腕力がなければ登れない。。
ロープを持ったまま足が滑って上に行けない、という場面もありました。
手袋は手を保護するために必須。
元々急登が得意ではない私。
周囲は真っ暗。
見えるのはヘッドライトが当たる部分のみ。
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初めてではなく、あとどの程度我慢すればいいのかわかっていれば、まだ心をキープすることも出来なくはないかもしれませんが、この先この状態がどれだけ続くかわからないとなると、泣きたくなります。
後ろのランナーにはどんどん先へ行ってもらいつつ、とにかく一歩一歩、つらくても一歩と何度も心の中で繰り返し、上がっていきました。
自分が渋滞の元になってはいけませんので、後ろが近づいてくると、木にしがみついて後続がパスしてくれるのを待ちます。
すると、おんたけウルトラ100kmで知り合ったIさんが後ろから上ってきました。
多分悲壮な顔をしていたのでしょうね。
お互いの顔を見て「お~~!」と言い合ったあと、「大丈夫ですか~」と声を掛けられてしまいました。
3週間前にUTMBを完走したばかりのIさん。
さすがやな~強いな~と思いながら、見送りました。
もうすぐで山頂やと少し頑張って登っていったりしても、そこはニセピーク。
とにかく細かなアップダウンが続きます。
なかなか一つ目のピークの雪見岳頂上へたどり着けず、ふと時計を見てみたら、W1を出てからまだ3kmも進んでいない!
まだ残り20km~~!?
やっとの思いで雪見岳山頂にたどり着いたときには、私のカラータイマーはゼロになっていました。
まだその後に熊森山、長者ヶ岳がある。。。
何とか雪見岳山頂にたどり着くことが出来ましたが、その登りに勝るとも劣らない難関が、今後語り継がれるであろう下り。
ドロ状態。
イメージとしては「6月の田んぼ」。
足を置くと、5センチから10センチほどズルズルっと先へ沈み込みます。
そのドロ状態の急傾斜を下っていくのです!
しかも選手が二人以上並んで下りられるような道幅のあるトレイルではなく、基本は1人1人行かないと危ないです。
トレイルの両サイドは笹、とがった枝。
時折、トレイルの真ん中に樹が立っていたり、根が出ていたりします。
前後に選手がいなければまだいいのですが、前に選手がいますので、ブレーキをかけなければ前の選手にぶつかります。
しかし、ブレーキかかりません!
一回足をおくと、滑って30センチから50センチ、ビヨーンと前へずれるのです。
滑り始めたら止まれません。
スケート?
全身全霊を込めて自分の身体を止めなければなりません。
前腿は張ってパンパン。
少し前の樹をめがけて下り、両腕でその樹に激突するようなかたちでストップ。
あるいは両サイドの笹に必死でしがみつく。
頼りになるものが何もないときは、お尻で滑る(私のモンベルのレインウェア、帰って確認したら、穴が数十か所あいてました。。)
これを延々と繰り返すのです。
山、トレランって下りが楽しみな人が多いと思います。
登りがきつくて、下りがそんなだと、何を楽しみに頑張ればいいのか。
初めてのトレイルで、先がよくわからない、どこまでこのドロドロ状態が続くかわからない、しかもまだ山が二つ残っている、という状況に置かれたとき、どんな気持ちになるか。
同じ経験をした人とはここの話だけで一晩飲み明かせそう。。
とにかくその後も細かなアップダウンが続き、時折登りが混じるのですが、その登りはドロでズルズル、2つめのピークである熊森山への取り付きでここから登りかと思ったらまた下らされ、を繰り返します。
ここの区間でメンタルがやられて、A3でリタイアされた方も多かったと聞きます。
具体的な記憶は飛んでいますが、同じことをもう2回繰り返して長者ヶ岳山頂へやっとの思いでたどり着きました。
そこにスタッフの方がいらっしゃったのですが、「残り13km。ここから3km下りです!下り切ったらロード10km!」と聞いて絶句!
「まだこっから13km~~~~~」
その場にいた選手皆顔が引きつりました。
選手皆、靴からウェアから全身ドロドロ。
ここからまたあの過酷な下りを3kmやるという。。。
下りきって、ロードに出たときの嬉しかったこと。。
しかし、ロードに出てからA3までがまた地獄のように長かったのです。
あのドロドロの天子をクリアしたという安堵感から、すぐに次のエイドがやってくると勝手に勘違いしていた自分がいるのですが、下りてから10kmほど。
ロードも普通の平坦なロードではなく、山にありがちな勾配がそこそこあるアップダウンのあるロード。
下りは足に負担がかかり、上りは走れません。
天子を抜けてきた抜け殻のような身体にはキツすぎる!!
しかも、次のエイドまで、残りはロードのつもりでいたのが、白糸の滝付近で再度数キロのトレイルがありました。
「え~~、トレイルは聞いてないよ~」
そのトレイルがまたガレていて足裏が痛いんです!
暗がりの中、ガレたトレイルは捻挫に気を付けなければなりません。
数キロのトレイルが終って、またロード。
残り数キロになったところで、所々に明るい建物が遠くに見える。
やった!やっとエイドだと思って力を振り絞って走っていくと、それは工場の明かり。
このフェイクに何度やられたことか。。
この辺り、早朝から操業している工場?多いです。
暗い中を朦朧としながら走っていくと、明かりが煌々と点いている建物が遠くに見えるとエイドに見えてしまうのです。
ところどころにスタッフが立っていますので、心の拠り所を求めて「あと何キロですか?」と尋ねるのですが、「あと3kmくらい」。
だいぶ走ってからもうすぐかな~と尋ねると「あと3km」。。。。
意識も朦朧としてきたころに、やっとA3(富士宮)が現れました。
結局W1を出てからA3にたどり着くまで7時間12分。。。
21時3分から翌日の朝4時15分までの死闘でした。
参考までに私の順位のうつりかわり。
(つづく)