(A3からの続き)
2015年9月25日から3日間にわたって開催された、第4回ウルトラトレイル・マウントフジ2015(UTMF2015)。
■A3(富士宮 69.6km)キロ表示はコース変更前
天子をクリアし、延々と続くロード、トレイルを終え、やっとの思いでA3富士宮へ到着。
当初のレーススケジュールでは、A3富士宮の関門時刻は、午前4時50分とされていました。
私が到着したのは午前4時15分ころ。
全く関門時刻を気にせずに走っていましたが、実は35分しか余裕が無かったのですねー。
ベンチに座って茫然としながら富士宮焼きそばを食べていると、丁度本部からエイドにA3の関門延長の連絡が入ったようで、スタッフの方から、A3の関門時刻が1時間延長になる旨発表されました。
応援やサポートの方から歓声が上がっていました。
そこにいる選手は間に合っている訳ですので、基本的に無反応な感じ。
仮眠施設は毛布にくるまった人で足の踏み入れ場も無い状況で、救護所も人だかりになっていました。
エイドとしてはそれほど大きくなく、ベンチも多く無く、ドロドロの地面に座ることも出来ず、正直、早朝のA3の居心地はあまりよくなかったかなー。
一旦ベンチに座ったものの、富士宮やきそばを食べておかなきゃとザックをベンチに置いて貰いに行き、ベンチに戻ったらザックが横によけられ、席は大きな外国人選手に取られてました。。。
絶句。。。。。
気の毒に思ったのか、反対側に座っていた日本人選手が私のスペースをあけてくれました。
私もあの方のような気遣いが出来る選手になりたい。。。。。
少しその選手と会話しましたが、話題は天子から下りてからのここまでの距離が長すぎますよねーというところに尽きます。
補給の観点からも、メンタルの観点からも、天子を下りた直後にエイドが欲しかったです。
去年までは西富士中学校で、もっと手前にエイドがあったが、今年はキツイ、というような話をされたように思います。
■A3(富士宮 69.6km)からW2(粟倉 76.3km)キロ表示はコース変更前
A3では、富士宮やきそばを頂き、トイレに行き、25分休憩して出ました。
A3を出たのは午前4時40分。
まだ暗い中のスタートです。
噂では、W1までで400人、A3までで700人がリタイア・関門アウトになったと後から聞きましたが、実際はどうだったのでしょうか。
A3から次のエイドであるW2までは、6.7km。
草むら、鉄塔下のトレイルを淡々と走る単調なトレイルが延々とリピートされます。
ぐるぐる回っているような錯覚。。。
デジャヴ。。。。。
途中で夜が明けてきました。
時折森の中へ入ったりもしますので、ライトを点けたり消したりしながら走っていました。
最後、W2が近づいてきたところでロード(舗装路)になりました。
私は普段河川敷を走っており、単調さには人より慣れているみたいです。
この区間はゆっくりではありましたが、結構走れました。
夜が明けてくると、気分も明るくなってきます。
膝や足首などの関節系に痛みはなく、胃腸も大丈夫で、筋肉痛と足裏の痛みが徐々に出てきているくらいでした。
同じペースくらいで進んでいた女性ランナーと「単調ですね~」と話をしながら進んでいると、W2(粟倉)が見えてきました。
■W2(粟倉 76.3km)キロ表示はコース変更前
W2には、午前6時5分に到着。
粟倉に入ると、「須山さ~ん」という声が聞こえました。
そこでボランティアスタッフをしていたのが、私が一昨年信越五岳110kmに出場した際にペーサーをしてくれたHさん。
満面の笑みでこちらを見てくれています。
!!!
私、誰にもサポートを頼んでいませんでしたし、スタートしてからは基本的に最初から最後まで一人で頑張らなければならないと思っていたので、本当にうれしかった。
よく考えてみたら、あのときはまだ朝の6時5分だったんだなーー。
ボランティアの方は、きっと寒かったろうと思います。
一晩中選手のためにあらゆることをして下さっていた全ボランティアスタッフの方には、本当に感謝の気持ちしかありません。
Hさんはコーラを注ぐ係をしていましたが、強い言葉で元気づけてくれました。
Hさんは仲間のTくんも出場していると思っていたらしく、「Tさんが来るのも待ってます」と言われたので、Tくんの無念についてかいつまんで説明しました。
「だから僕はTくんのためにも這ってでも絶対に最後まで行かなきゃならないんです!」と。
Hさんは、驚きながら「ここまで来れたならここからA4までは楽勝ですよ~。こどもの国(A5)でドロップバッグ取ってゆっくり休んでください~」と送り出してくれました。
何でしょう、この感覚。
感謝と感動で、ぐっとメンタルが上昇。
さぁ行くぞという自分に対する掛け声とともに再スタート。
このエイドでどの程度休んだか思い出せませんが、トイレも行かなかったし、おそらく10分程度だったかな。
■W2(粟倉 76.3km)~A4(富士山こどもの国 90.4km)キロ表示はコース変更前
W2を出ると、延々とロードが続きます。
ほとんど全部ロードだったか、途中にトレイルが混じっていたかはよく思い出せません。
ただひたすら足を前へ。
基本的に上り基調の区間。
沢山の選手が歩いています。
私は上り基調でも、走れる程度であれば、長いロード・林道は嫌いではなく、結果的に順位が上がっていることが多いです。
A3富士宮を出るときは382位、W2粟倉に着いたときは368位、A4富士山こどもの国に着いたときは339位と、じりじり順位が上がっていきました。(ちなみに出走者数は1363人)
ただ、次のエイドである「富士山こどもの国」と言われても私は行ったことが無く、ピンと来ず、どんなところかも分からないまま目指して進んでいたのですが、きっと遊園地的なところだろうと勝手に思って、そういう雰囲気、観覧車や遊戯施設が見えたらエイドが近い、などと思いながら走っていたのを今思い出しました。
(実際は全く違った。。。)
■A4(富士山こどもの国 90.4km)キロ表示はコース変更前
午前8時9分、A4(富士山こどもの国)に到着。
何故だか眠くありません。
ここは、スタート地点で預けたドロップバッグを受け取ることが出来るエイド。
何とかここまで来れてほっとしました。
到着直前にスタッフの方によりゼッケンナンバーが確認され、受取場所では待たずに自分のバッグが受け取れるシステムにされていました。
バッグの引き取りに時間がかかったり、後から来た選手のバッグの方が先に出てきたりすると、疲れた身体ではがっかりするのですが、この気遣いは非常に嬉しかったです。
丁度エイドに入ったところで、雪見岳の登りで「大丈夫ですか」と言われたIさんと出会いました。
もっと先へ行っていると思っていたので少しびっくり。
上半身とソックス、シューズを替えました。
脱ぐもの全てがドロドロですので、気を付けないと、新しい服もシューズもドロで汚れてしまいます。
雑巾をいれておくべきだったと後悔。。。
でも、レース前に雑巾が要る事態まで想像できませんでした。。
身体を拭くためのウェットペーパーを大量に使いながら着替えるハメになりました(新品を入れておいてよかった。。)。
A4には1時間7分滞在。
手がかじかんでいて、着替えるのにかなり手間取ったことと、足裏にワセリンを塗ったり、ザックの内容を入れ替えたり、ライトの電池を替えたり、携帯を充電したり、エイド食(富士山ひらら)を頂いたり、トイレに行ったりしていると、いつの間にか、あっという間に時間が経ってしまいます。
ドロップバッグには、カップヌードルや沢山のお菓子を入れていましたが、食べたい気分にはならず。
寒くて食欲が出ない。
午前9時16分に出発。
■A4(富士山こどもの国 90.4km)~A5(富士山資料館 97.8km)キロ表示はコース変更前
区間距離としては7.4km。
強烈な上りや山岳地帯が予定されている訳では無い区間で、距離も短く、プレッシャー無くA4を出ました。
しばらくロードが続き、途中でIさんに追いつき、話しながら走っていると、すんなりA5に近づいてきました。
A5の手前は美しい草原で、A5から折り返してきたランナーとすれ違える区間です。
知らない選手同士、お互い声を掛けたり、拍手したり、互いを称えあって進みました。
■A5(富士山資料館 97.8km)キロ表示はコース変更前
A5富士山資料館には、午前10時26分に到着。
ここは初めてエイドに使用される場所でしょうか。
ここは、前のA4でゆっくり休んだ直後のエイドで、かつエイドに入る直前が楽な下りのパートだったからか、選手の滞在時間は短いようでした。
ここのエイドの食事 ↓
頂いたのはもちろん「すやまうどん」
生まれて初めて自分の名前の冠されたうどんを食べました。
寒かったレース当日には、温かくてほっとする味ー。
ありがとうございました。
元々ハンバーガーが好きな私は、カツバーガーにも手を出し、完食しました。
このようなレースでは、食べられるときに食べられるものを食べられるだけ食べておくのが鉄則です。
私はジェルが余り得意でなく、序盤いけても後半以降ほぼ間違いなくジェルを受け付けなくなります。
貰ってザックに入れていけばよかったな。
■A5(富士山資料館 97.8km)~A6(太郎坊 109.9km)キロ表示はコース変更前
A5では18分休憩して再スタート。午前10時44分の出発です。
A5からA6は、今回新しく開拓されたパート。
基本的にはA6までずっと上りです。
大会実行委員長の鏑木さんの事前コメントを確認していたのですが、「この区間はかなりキツイ、個々の選手の山力が問われる」と言われており、警戒していた区間。
しかし、高低断面図によると、上りと言ってもそれほど急な上りには見えないので、何かキツイのかなと思いながら走り始めました。
まずは草原。
A5向きは楽な下り、A5を出る際は、逆向きですのでかなりのしんどい上り。
ゆっくり登り返しました。
しばらく行くとトレイルに入ります。
最初は、キツイながらも、まぁ、我慢して進んでいける程度だったような記憶があります。
↓ 写真を撮る精神的余裕もあったみたいです。須山口登山歩道。
ところが、1/3ほど進んだところで(主観的な距離感ですが)いきなり急登が始まりました。
この急登がまた、悪夢の雪見岳を思い出させるほどの勾配。
例によってドロドロで、ずるずる滑り、上るのに気力と腕力がいります。
A5からA6は12kmありますので、体力とメンタルの配分をうまくしないと、この区間持ちません。
マイペースを守ること。
緩い勾配になれば速度を上げ、キツイ勾配はゆっくり。
後ろから選手来たらさっさと抜いてもらって、足を使ったり、気疲れすることが無いようにしました。
この区間、途中で同じくらいのペースで進むイギリス人男性選手と出会い、5、6km 一緒に進みました。
その選手は後ろについた私を先に行かせようとしてくれたのですが、私が固辞し(笑)、流れで一緒に走ることになったのです。
聞けばUTMFは3回目の出場とのこと。
毎回毎回素晴らしい景色だったー。
1回目より2回目の方が4時間早くなった。今回はどうかなー。
その方の奥様は全然レースの応援に来てくれない。
などなど。
自分は神戸からの参加だと言うと、彼は医療品関連の仕事をしていて、神戸にはよく行っているとのこと(神戸ポートアイランドは医療関係の外資系企業や研究機関が集積している)。
六甲山にはまだ上ったことが無いとのことでぜひ案内したいと。
トレランって走りながらこういった会話ができる、場合によってはレース後も付き合いが続いていく、付き合いが続かなくとも、どこか別のレースで再開すると大概覚えていることが多いんですよね。
これぞ、トレランの魅力!
そのイギリス人選手と話しているうちに、強烈な上りはいつの間にか終わっていました。
勾配は平坦、下りも交じるようになり、息を飲むような美しい森に入りました。
©allsports.jp
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ここの区間のここの森の箇所だけ、もう1度走ってみたいなー。
100km以上走ってきているのに、まったく疲れを感じないで走れます。
足さばきも自分じゃないみたいに捌けて、気分は石川弘樹さん~~(何故か鏑木さんではない)
このUTMFでトレイルを気持ちよく走れたのは実はここだけ。
それだけにすごく印象的。
楽しかった森はあっという間に終わってしまうもので、その後、砂礫地帯に入りました。
太郎坊が近づいてきているということの証拠ですので嬉しいのは嬉しいのですが、
砂礫ですので、足腰が強靭でないと走って登るのはキツイです。
上へ行くにつれて、どんどん勾配は急になります。
もうとにかく一歩一歩。
霧が出ていたため、登っても登っても先が見えてこず、結果的にはここもメンタルが要求された区間でした。
©allsports.jp
何とか気力を振り絞って登っていくと、人の気配が見えてきて、エイドが近づいてきたのがわかりました。
スタッフの方に声を掛けると、あともう少しでエイドとのこと。
その一言を待っていたんです!!
■A6(太郎坊 109.9km地点)キロ表示はコース変更前
建物が見えてきて、駐車場?をぐるっと回ってA6(太郎坊)エイドに到着。
午後2時3分に入りましたので、A4からA5は約3時間20分かかったことになりますね。
体感的にはもっと長かった印象。
A6に辿り着いた方は、おそらく誰もが印象的だったことと思いますが、ここのエイドのボランティアスタッフさん、特に元気で、エイド全体で盛大に選手一人一人を迎えてくれました。
ここぐらいの距離になってくると、エイドに入ってくる選手はばらけており、一人一人入ってきて、一人一人出ていくのです。
その一人ひとりの選手に対し、まるでヒーローであるかのような声援と拍手で出迎え、送り出してくれます。
頑張って登ってきた選手へのリスペクト、声援で元気づけてあげようという気持ちがひしひしと伝わってきて、本当に頭が下がる思いでした。
ホント、あれは嬉しかったなー。
スタッフから「みくりやそば当然食べますよね~」みたいな感じで声を掛けられ、吸い寄せられるように頂きました。
ここは標高が高く、霧も出ていてかなり寒かったのですが、心は温まり、メンタルのエネルギーは充填できました。
■A6(太郎坊 109.9km)~A7(すばしり 120.5km)キロ表示はコース変更前
A6(太郎坊)には午後2時3分に入り、15分だけ休憩して午後2時18分に出発。
次のA7までは約10.6km。
ここから次までは下りなので、時間と距離を稼げるかなと思っていました。
砂礫の下りを過ぎると、トレイルに入ります。
トレイルに入ったころから、STYのトップ選手が後ろから現れ始めました。
トップ選手ですので凄いスピードです。
邪魔にならないよう、後ろを意識しながら、来たら避ける、を繰り返していました。
後ろを意識しながら走るというのは、正直キツイのですが、こればかりは仕方がありません。
トップ選手を応援しながら、かつ元気を頂きながら進んでいきました。
この辺りでも同じペースで進む男性選手と気が合い、結局この区間の2/3くらいは一緒に走ったかなー。
宮城県の選手であったこと、今年のSTYはセバスチャン選手が走っていると聞き、追い抜かれるのを楽しみにしながら走っていたことを思い出しました(結局どこで抜かれたのかわからなかったのですが。。)
この区間、基本は下り基調なのですが、後から聞くと、この区間でロスト(ミスコース)をした選手が結構いたようです。
私も、一度、全然違うほうへ走っていくSTYの上位選手(10位以内の方だったと思う)に大声で「そっち違いますよ~!こっちですよ~」と声を掛けました。
この区間は分岐が多いのですが、走りやすく、スピードが出ていますので、マーキングテープを見落としてしまうことが多いのでしょう。
■A7(すばしり 120.5km)キロ表示はコース変更前
A7に着いたのが午後3時49分。330位で入ったようです。
天気の印象が余り残っていないのですが、このエイドの記憶の中の景色がオレンジ色がかっているので、太陽が出ていたのかもしれません。
A7すばしりは道の駅の横に設けられたエイド。
トイレはエイドから道の駅に下りて行かなければならないのですが、大会とは関係ない一般の方も当然沢山いました。
磯辺焼きやなめこ汁を座って食べていると、STYの女子トップ選手がどんどんやってきます。
雑誌やネットで見たことがある選手が立ち止まらずに風のように去っていきました。
■A7(すばしり 120.5km)からA8(山中湖きらら 135.5km)キロ表示はコース変更前
A7では24分休憩して、午後4時13分に出発。
A7からA8区間は前日にコース変更された区間。
大洞山、三国山、鉄砲木の頭(明神山)を経て、A8山中湖きららへストンと下りる本来のコースではなくなり、大洞山の手前で籠坂峠へ下る。
籠坂峠に出てからはロードで、舗装路を延々下りて山中湖畔のロードを延々進むということになりました。
ずっと山中というわけではなく、途中で山中湖畔へおろされて平坦なロードということで、出発時点では気楽な状態。
この区間の途中で夜になることがはっきりしていますのでライトを頭に装着して出発。
しばらく進むと、トレイルに入り、山へ取り付きました。
この上りもそれなりに勾配があり、自分としてはきつかったです。
STYの上位選手がどんどん後ろから上ってきますので、STYの選手に道を譲りつつ、UTMFの選手には抜かれないといったペースで登って行きました。
おそらくここ、明るいときには相当美しいトレイルなのではないかと感じました。
そういうのって森の雰囲気でわかりますよね。。。
体感的には1時間から1時間ほどでコース変更となった分岐地点へ辿り着きました。
そこにいたスタッフから、「ここから3kmトレイルを下ってあとはずっと舗装路」と教えてもらいました。
ここの下りは、夜でもかなり高速で走れるトレイル。
快調に飛ばし、前を走っていたSTYの選手まで何人か抜かすことが出来ました。
しかし、
その後のロードが長すぎるーーー。
延々下ります。
ここに来ての長い下りは、ヒザ、前もも、足首、足裏全てにビンビン響いてきます。
暗く、カーブも多くて先が見通せず、横は木々で遮られていて、湖畔が見えません。
あとどのくらい下れば山中湖畔に辿り着くのかわからないまま、ひたすら下りて行きました。
ここは我慢と止まらずに下りましたが、湖畔の平坦な道に下りてきたときには、足全体にダメージ。
平坦なのに、上りに感じます。
エイドまで長い!
いったいいつになったら着くのだろうと思いながらヨロヨロ走っては歩き、走っては歩きを繰り返していました。
湖畔で車道横の歩道を走りますので、一般車両はたくさん通り過ぎていきます。
何度乗せてもらいたいと思ったことか。
旅館やキャンプ場、トイレ、駐車場などもありました。
BBQをしている学生さんたちの横を通ったときの美味しそうな匂いったら!!!
(続く)
参考までにA8までの順位等。