(A8からの続き)
2015年9月25日から3日間にわたって開催された、第4回ウルトラトレイル・マウントフジ2015(UTMF2015)。
■A8(山中湖きらら 135.5km)キロ表示はコース変更前
山中湖湖畔の夜の舗装路。
ベタ歩き(ずっと歩く)はしない信条なので、「出来るだけ長く走り、限界が来たら少し歩く」、を繰り返し、A8(山中湖きらら)がやっと見えてきました。
入るなり、休む間もなく装備チェック。
ランナーが必ず持って走らなければならないと大会が決めている必携品をスタッフがチェックするのです。
持っていなければ失格。
サポートの方もいますので、エイドを出る時ではチェックの意味がありません。
入るなりのチェックは仕方なし。
私は地図、雨具、サバイバルシートを見せてくださいと言われましたが、雨具は着ていましたし、地図とサバイバルシートは同じジップロックに入れていたので一瞬で終わり、ラッキーでした。
必携品を持っておらず、ここで失格になった選手が50人以上いた?もっと?? という噂も聞きました。
運営は厳格です。
これまでのエイドはUTMFの選手が大半で、前のエイド(すばしり)でもSTYのトップ選手がちらほらいただけですが、ここはUTMFの選手とSTYの選手が入り乱れてごった返していました。
ここのおもてなしは、甲州富士桜ポークの豚汁が振る舞われており、とっても美味しかったので2杯お替りを頂く。
またエナジードリンクの「レッドブル」が無料で配布されており、これも遠慮なく頂く。
私の中で、山中湖まで来たら、あとは噂の、あの!「杓子山」をクリアすればよい、と勝手に思い込んでいたのですが、A8~A9の間には石割山という頂上に近づくほど勾配が急できつくなる中ボスがいたのでした。
エイドで掛けた電話で、Mさん妻に状況を伝えてから「いよいよ杓子山~」というと、次は石割山ですね~と切り返され、「!?」と思ってコース断面図を見ると、確かにそんな名前の山が書いてある。。
がっくり。。。
何となく悲壮感が自分の中で漂ってきましたが、エイドに長居すると出られなくなってしまうので、粛々と身体の準備をしてエイドを出ました。
A8で休憩したのは28分。入ったときには316位、出るときには289位であったところを見ると、やはり各選手、ここで先へ行くのが辛くなってきているのがわかります。
■A8(山中湖きらら 135.5km)からA9(二十曲峠 141.7km)キロ表示はコース変更前
A8をよろよろと出ましたが、身体が冷えたうえに足が重たく、すぐに走り出せず、5分ほど歩きながら進みます。
周囲は9割がたSTYの選手。
上位の選手たちなので、まだまだ元気そう。
舗装路にいる間は、なるべくSTYの選手に付いていくように頑張りました。
1kmほど行くと、林道に入り、いよいよ石割山に向かって上がっていくことになります。
上りをSTYの選手と同じスピードで登れる余力が全く無かったので、シングルトラックだとキツイな~と思いながら進んでいたのですが、林道はそれなりの広さがあり、気持ちよくSTYの選手に先に行ってもらえたので楽でした。
シングルトラックですと、ずっと後ろを気にしていないといけないですし、後ろからの選手が連なっていると、延々と通り過ぎるのを待たないといけないのでキツイのです。
ギリギリ走れるくらいの勾配の林道を2kmほど進むと(全然距離が違うかもしれませんが)、いよいよトレイルへ。
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石割山の勾配、なかなか強烈です。
ここはそれまでのドロドロと違って、足元はしっかりしていたのですが、岩の間を上がっていく感じで、トレイルは狭くて急。
後ろに選手が来ていても避けるスペースを見つけるのが難しい。
後ろに早く行きたいSTYの選手が来ても避けられないので自分も頑張って上がっていくしかない。
このシチュエーションはなかなか辛い。
後ろのSTYの選手に「すみません、どこかでよけます~」と言うと、「全然いいですよ~。UTMFの選手尊敬します~。今年は大変だったみたいですね~。自分なら絶対無理です~」などと声を掛けて頂けました。
いい人すぎる~。。。
トレランをやる人って、ホントにいい人が多いな~
頂上まで残り1/3くらいのところで、一昨年の神流トレイルラン&ウォークで知り合ったSさんが後ろからやってきました。
Sさんにも「お~須山さん!」と声を掛けられましたが、夜間のあの勾配の山の中、後ろ姿でよくわかるものですね。
私などいっぱいいっぱいでほかの知り合い選手を見つける余裕など全くありませんでしたが。。
Sさんは、まだまだ余力がある様子で、「お互い頑張りましょう!」と声を掛けあったあと、文字通り「ガシガシ」登って去っていかれました。
心肺がマックスの状態で、息も絶え絶えに、石割山頂上に到着。
着いたら休憩するつもりでいましたので、スタッフが見えて「やっと着いた~」と内心ほっとしたのですが、周囲が誰も止まらない!
頂上を素通りしていきます。
雰囲気的に自分だけ休むわけにも行かず、涙目で下りへ進みました。
石割山頂上からA9(二十曲峠)までは、かなりの勾配の下りトレイル(に見えた)。
そのトレイルは、私の技量ではスピードを落とさずに下りるのは不可能でした。
下りでも私には「下りやすい下り」と「下るのが難しい下り」があります。
足さばきが得意でないのと、昨年トレイルで足を捻って骨折した恐怖感がまだ取れていないのです。
テクニカルな下りはまるでダメ。
「下りやすい下り」は足の置き場が容易に見つけられる下り。滑る恐怖が少ない下り。前後に勾配があっても左右に勾配がない「平坦な」下り。
「下りにくい下り」はその逆。
私には辛い下りでした。
下りが得意な選手は風のように、水が流れるように下りていきますが、私の場合はおそるおそる、ドシンドシンと下りていく感じ。
雨で真ん中が谷になっているV字状のトレイルで、平坦な場所が少ないのです。
そもそもライトの光で高速に下りていく練習をしておらず、ライトの電池は十分にあったのですが、それでも昼とは比べものにならないほど暗くて、恐怖心が先に出てしまいます。
シューズが靴底の厚いHOKAであることもあって、足を捻ったら大けがになります。
慎重に慎重に、下りて行きました。
距離は大したことないのですが、ケガとスピードのプレッシャーでメンタルがきつかった下りでした。
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■A9(二十曲峠 141.7km)キロ表示はコース変更前
A9の明かりが見えてきたときには本当にほっとしました。
タイム表を見ると、A8を出てからA9に入るまで1時間28分しか経過していないようですが、実感としてはその2倍戦った感あり。
A9は小さなエイドでしたが、沢山のスタッフと選手がいました。。
ここのおもてなしは豆腐ドーナツ。
頂いたような頂かなかったような。。
しばしベンチに座って呆然と。
A9を出ると、後半の大ボス杓子山があり、次のエイドまで山中を15km行かねばならないということもあり、なかなか腰を上げることが出来ませんでした。
トイレに行ってそのまま出るつもりが、またベンチに戻ってきて、エイドを出ることに逡巡。
でも行かなきゃ終わらないんですよね~。
■A9(二十曲峠 141.7km)からA10(富士小学校 156.7km)キロ表示はコース変更前
何となくイメージとしては、A9を出たらすぐに急登が始まると思っていたのですが、意外とそうでもなく、4kmほど平坦か下り基調のトレイル。
後で杓子山があり、登り返す訳ですので、下りは全然嬉しくない。
上りは人並みのスピードでは登れなくなっていることが分かっていましたので、走れるところは走っておかないとと頑張って走りました。
上りがあると、いよいよ杓子山への取り付きかと身構えますが、すぐに下ろされて、の繰り返し。
まだか、まだかと思いながら進んでいきました。
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そして、いよいよそれらしき勾配の山に取り付く。
140km以上走ってきた足には酷すぎる勾配です。
先は暗くて見えません。
足元はそれほどドロでは無かった記憶。
とにかく森の中を多少のジグザグはありますが、基本は直登していくイメージです。
途中で立ち止まって身体を整えているのは、大概UTMFの選手。
青のゼッケンがUTMF、ピンクのゼッケンがSTYの選手なのですが、青のゼッケンを見ると、話しかけたくなる(笑)
お互いに「終わっている」ということを確認し合い、傷を舐めあい、「では、いざ」と別れる。
しかし、本当に杓子山の登りは長かったな~
急登→急登→急登→急登→急登→急登→平坦→急下り→平坦→急登→急登→急登→急登→平坦→急下り→平坦→急登→急登→急登→急登というイメージ?
ニセピーク(頂上に着いたと思わせる平坦な場所)に何度メンタルを痛めつけられたか。。
DVDで何度も何度も恐怖心をあおられたあの岩場、鎖場が最後の方で出てくるのですが、それが終わったらピークやと思いますやん!
そっからまだまだ急登が続いていくわけです。
そこにいたスタッフにあと2km上りと言われたときには、つらくて泣きそうになりました。
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泣いてました。。。
杓子山の頂上には、鐘があるのですが、選手が鳴らす鐘の音が聞こえてきてからも長い。。
頂上に着いたときは嬉しいというより、やっとか~~~という安堵感。
さすがに石割山とは違い、杓子山山頂を素通りできる選手はおらず、皆腰を下ろして休息を取っていました。
真っ暗ですし、富士山も見えないですし、そこにとどまる意味はないのですが、下りへ立ち向かう気持ちが出てこないのですよね~。
見るからにスタートが絶壁ですし。。
15分くらい身体を休め、さぁ行くぞと腰をあげ、お約束の鐘を鳴らし、再スタート。
本来ならここで写真の1枚でも撮っているはずなのですが、撮ってませんね。。。
真っ暗ということもあったのでしょうが、結局「須山道登山道」のあと、ゴールまで1度もカメラを出していませんでした。
杓子山からの下り。
A10(富士小学校)まで、10km弱を下ります。
頂上を出た瞬間ロープ。
急勾配トレイルなのですが、天子で苦しめられたドロドロトレイルが、再び目の前に現れました。
アルペンスキーでいうと、「滑降」のイメージ。
悪夢の再来。
天子のときは時折平坦な箇所も交じっていたのですが、ここはひたすら下り。
またまたメンタルが奪われていきます。
いつかドロは終わるのでしょうが、それがいつ終わるのかが分からない。
「あとどれだけ我慢すれば」という心の拠り所がないのは辛すぎます。
ただ、天子のときと違ったのは、選手と選手の間に間隔があったこと。
前の選手との激突をそれほど心配しなくてよいのです。
なので、「全力でブレーキ」をかけなくてよいので、後傾ではなく、前に体重をかけながら滑るように下りていくことができます。
途中からコツをつかみ始め、小刻みに足を出しながら止まらずにどんどん下りて行けるようになりました。
あのコツをつかんだのは大きかったな。
ドロ区間がいつ終わったのか思い出せないのですが、やがてトレイルが林道に変わりました。
その林道がまた延々続いて、走れるので苦しかったのですが(下って下って下って下って下って下って下って下って下って、回って回ります)、何とか市街地のようなところへ出て来られました。
何となく「ひとの気配」を感じられるところまで下りてくると、安堵感が生まれてきます。
やがて林道から舗装路に出て、さらに延々走らされ(林道に出て以降は下りですのでずっと足が残っていれば走れます。私もキロ6分は切って走っていたはず)、とにかくエイドに辿り着くことだけを頼りに、エイドフェイクにも耐えながら、何とかA10(富士小学校)に辿り着きました。
■A10(富士小学校 156.7km)キロ表示はコース変更前
20時36分にA9を出て、A10に着いたのは0時53分。
杓子山山中で、4時間以上格闘していたのですね。。。。
A10は大きなエイドで、応援の方、サポートの方等も沢山。
選手はヨレヨレの状態で入ってきますが、万来の拍手で迎えてもらえます。
私の場合、最後の舗装路でメンタルがゼロになってしまい、やっとのことで辿り着いた感じでした。
A10まで来たら、次はゴールです。
普通は元気が出てくるはずなのですが、私の場合、全く出てこず。
残り12kmがとてつもなく長く感じられます。
ベンチに座って寒そうにしていると、体育館も利用できますよ~とスタッフの方から声を掛けて頂きました。
体育館の中は、毛布にくるまった選手が奥の1/4くらいを占めており、手前にベンチやらストーブなどが置かれていました。
何も食べたくないし、何も飲みたくない。
何もしたくない。
寒い。
このレースの中で、真剣にエイドを出たくないと思ったのがこのエイド。
タイム表示を見ていると、44分も休んでいます。
特に何をしたか覚えていないのですが、A10からゴールまでのコース断面図を確認したことだけは覚えています。
そこで初めてまだもう一つ霜山という山があり、その山を越えるには500~600m登らなければならないということを知りました。
事前シュミレーション無しで臨んだ自分も自分なのですが、試走しないと、図だけ見てても全くイメージわかないし、頭にも残らないのですよね~
A10に着いたらゴールしたも同然という思いで何とか辿り着いたのに、もう1回、六甲クラスの山を登らなければならないと自覚したときの衝撃。
15分ほど逡巡して、メンタルを立て直し、午前1時37分、エイドを出ました。
44分休んでも、入ったときと出たときの順位は同じ269位。
平均的だったのかもしれません。
■A10(富士小学校 156.7km)からゴール(河口湖八木崎公園 168.5km)キロ表示はコース変更前
結局、正式な距離は170.3km、累積標高差は7889mだったようですが、正直、途中で正確にはどうなんだとか、そんなことが頭をよぎることはありませんでした。
とにかくゴールまで行くんだということだけ。
エイドを出ると、少し舗装路があり、すぐに霜山への林道が始まります。
この林道がまたドロドロというかジュクジュクで、登りにくい。。
少しでも路面がマシなところをライトを当てて探しながら、一歩一歩上って行くのみ。
この霜山は、雪見岳や杓子山ほどの勾配は無いのですが、かといって走れるような緩い勾配ではなく、要は微妙な勾配で歩いてもしんどい。
そして長い。
登っても登っても登っても登っても頂上らしき風景は出てきません。
真夜中、4km走れない上りをひたすら登る。
必要なものはメンタル。
結局は100マイルはそこ。
山頂に辿り着いたとき、あとは下りだけだと言われたとき、あ、なんとか完走できそうだと初めて思いました。
ずっと関門時刻には少し余裕をもって走っていましたが、本当に自分が100マイルを完走できるということは、レース前はもちろん、レース途中も全く想像できなかったのですが、霜山の頂上で、あ、本当に自分は完走できるんだと、思えました。
霜山からの下りは、九十九折のトレイルを延々下るのですが、ドロドロ度は中程度。
超弩級のドロドロを乗り越えてきた自分としては、走れました。
160kmを超えても、人間走れるんですね~
河口湖まで下りてきて、そのままゴールへまっしぐらと思いきや、そこからもなかなか大変だったのですが、いよいよ残り3kmくらいになってきて、どうやら自分は40時間も切れるかもしれないということが判り、湖畔も歩かず走りました。
↓ 残り2km付近。元気そう。
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いよいよ河口湖大橋を渡り、ゴールが近づいてきて、、、
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感謝の気持ちとともにゴール。
長い長い旅でした。
39時間42分13秒。
何故そんな辛い思いをして走るのかと度々聞かれるのですが、未だにこれだという答えが見つかりません。
初めての100マイル、堪能させて頂きました。
Tくんとの約束も果たせた。
走り終えて、UTMFは日本一のレースと言われる意味がわかりました。
あのコンディションで、あの距離を、あの山中を、沢山の選手・スタッフを統制していくのは、それはそれは大変なこと。
事前準備、運営、スタッフ、コース、おもてなしの心、どれをとっても一級品。
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大会を運営して下さった関係者のみなさん、家族、友人等、全ての方々に感謝します。
本当にありがとうございました。
心から参加して良かったと思っております。
この大会、軽々しく来年も出たいとは言えない過酷なレースです。
ですが、徐々にまた出たいという気持ちが膨らんできています。
さて、本当に来年どうしようかな。