(A4精進湖まで編)からの続き
2018年4月27日(金)から3日間にわたって開催されたウルトラトレイル・マウントフジ2018(UTMF)。
■(A4)精進湖民宿村(77km)~(A5)勝山(94km)
A4精進湖民宿村では、事前に預けていたドロップバッグを受け取ることができます。
前日編にも書きましたが、ドロップバッグには、着替え(上から下まで全て)、 シューズの替え、手袋、交換用のライトバッテリー、モバイルバッテリー、エアーサロンパス、お菓子、レッドブル2本、ミルクコーヒー、バスタオル、ウェットティッシュ、足裏保護のProtect J1 長時間持続型保護クリームを準備。
ここに着いたら、すぐに携帯電話とGPS時計の充電をする、と決めていたので、忘れずにすぐにモバイルバッテリーに繋ぎました。
愛用しているGPS時計のEPSON Wristable GPS for TrekMZ-500Sは、計測中断した状態で継ぎ足し充電することが出来ます。
充電のために計測を一旦初期化することなく、続きから計測出来ますので、非常に良いと思います。
事前の想定では、ここで着替えなどで少なくとも30分は休憩する予定でしたが、その30分間充電するだけで、10~20%は充電できますので、バッテリーがゴールまで持つ可能性を高めてくれます。
(前回のUTMFは、何とか持つと思って充電しなかったため、最後の最後、残り数キロでバッテリーが切れてしまい、最後まで計測出来ず、悔しい思いをしました。)
全部着替えをし、ボディペーパーで顔や首、身体を拭き、リフレッシュ。
相変わらず、固形物は何も食べる気にならず。
周囲では「どん兵衛」を食べたり、食欲旺盛な選手も結構いて、羨ましくもなりました。
こういうことになることを想定してドロップバッグに入れていたミルクコーヒーとフルーツジュースを2本飲み干しただけでエイドを出発しました。
(エイドには、必ずコカコーラがあるのですが、もはやコーラも受け付けず、レッドブルのような人工的な味は匂いだけでアウトでした)。
A4(精進湖)に入ったのが午前8時13分、出たのが午前9時2分。
50分滞在。
サポートがいない選手は、着替え、靴の交換、ライトのバッテリーの交換、防寒着の入れ替え、様々な補給などを、全部自分でやらなきゃいけません。
一つ一つの動作が緩慢ですので時間がかかります。
50分も滞在していても、順位が45番(935位→890位)も上がっていますから、ここは他の選手もじっくり態勢を立て直すエイドだったのでしょう。
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A4(精進湖)からA5(勝山)の区間は、少しトレイルを走ると、しばらくロード(舗装路)。
そこそこ交通量のある車道横の歩道です。
太陽を遮るものがなく、直射日光が照りつけて、暑さに苦しみました。
このロード区間は緩い上りで、UTMF2015と「チャレンジ富士五湖ウルトラ100kmマラソン」で走ったことがあるのですが、
走れる傾斜です。
キツイ区間。
鳴沢氷穴まで、時折自販機があり、適宜ジュースを補給出来たので助かりました。
売店もあり、ソフトクリームを買っている選手も沢山(私はソフトクリームも無理)。
鳴沢氷穴を過ぎると、再びトレイルへ。
紅陽台、足和田山へと続くトレイルは、↓のような明るくて、広く、気持ちが良い。
上りはパワーウォーク、下りはジョグで進む。
↓ ミルクコーヒーが入ったペットボトルがささってますね。。長袖が暑く、たくし上げている。
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なかなか足和田山に辿り着きませんでしたが、明るいので、それほどメンタル的にキツイ訳では無く、スピードを上げているうちに、またMさんに追いつく。
数キロ一緒に走りましたが、Mさんはまだまだ元気。
ところで、私、スタート時、まさか途中で使うとは思っておらず、非常時用として1500円程度しか携帯していませんでした。
ジュースを買って残り500円くらいになっており、このまま補給を受け付けずお金が無くなったら(又は自販機が無くなったら)アウトとという、トレイルランナーにあるまじき状態になっていたのですが、ここでMさんに2000円借りられたのが大きかった。
結局私がゴール出来た最大の要因はこのお金。
トレランレース中にお金を借りた選手って、私以外になかなか居ないのではないでしょうか。
Mさんは1万円以上持ってらっしゃった。
次回から見習います。
足和田山では、原始人N尾さんと出会い、Mさんと写真を撮ってもらう。
きっちり富士山を入れてくれているのが流石。
足和田山を過ぎると、そこそこの勾配の下り(木段が多かったような記憶)になり、やがて(A5)勝山に辿り着きました。
暑い!
↓ サポートが羨ましい。
■(A5)勝山(94km)~(A6)忍野(113km)
A5勝山への到着時刻は、午後0時32分。
A4を出たときから順位はほぼ変わっていないので、体調悪いながらも周囲の選手と同じくらいのペースで乗り切れていたよう。
出発時刻は、午後0時36分!
トイレに行き、味噌汁を1杯頂いただけですぐに出発。
サポートもいないし、食べられないし、水をボトルに補給する必要が無いから。
座って休憩するくらいなら、歩きながら休憩すれば20分で2km以上は進めます。
A5勝山(94km)からA6忍野(113km)までは19kmありますが、断面図を見る限り、今回のUTMFで一番高低差が少なく、楽そうな区間と認識していたこともあったかな。
この区間は、今年のUTMFの新ルート。
フラット基調のロードを延々と走らされます。
途中、日陰になる箇所も少しはあるものの、ほぼ炎天下。
途中からは交通量の多い道路の歩道を走っていきます。
自販機が点在していたこと、途中にコンビニがあり、アイスキャンデー(ガリガリ君)を補給出来ました。
(口の中に引っ付き、皮が剥がれるという予期しない事故を生みましたが)
断面図ではなだらかで、ほぼフラットだと思っていたこの区間ですが、実は2つ山があり、いずれもかなりの急登で厄介。
直登が多くて、聞いて無いよと毒を吐く。©allsports.jp
↓ 2つ目の山から見えた富士山。
疲れていると富士山も斜めに見えます。
日がやっと傾きつつありますが、本当に暑かった。。
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午後4時12分、(A6)忍野(113km)到着。
やれやれやっと到着したと思ったところで、装備品チェック(結局この1回のみ)。
私の場合、確か、ライト(きちんと点灯するか)、雨具、携帯電話の3点がチェックされたと思います。
携帯電話はバッテリーの残量もチェックされ、20%以上の残量が無いと、充電を求められます(充電器の貸与は受けられたよう)。
私は78%も残があり、問題無し。
ここまで、スタート後に私が取った食料は、オレンジ4欠片、味噌汁1杯、アイスキャンデー1個、ペットボトル入りジュース6本くらい。
やっぱり食べ物は受け付けない。
もう食べるのは半ばあきらめていました。
必然的にエイドで順位が上がります。
(なお、私は速く走るという意味での順位にそれほど関心がありません。速いにこしたことはありませんが、そこに重きを置いていない。)
■(A6)忍野(113km)~(A7)山中湖きらら(128km)
26分休憩し、午後4時38分、次のエイドまでに日が暮れますので、頭にライトを装着してA6忍野を出発。
(ここで医師の友人夫妻がボランティアをされていたと知ったのはレース後。。会えてればどれだけ力になったことか。体調も相談できたのに。。)
次のエイドまで15km。
ここからが後半の修羅場であり、エイドを出るのは気が重い。
山岳区間なので、途中に自販機も無いだろうという不安も。
徐々に暗くなっていく中、まずは5キロのロードを走っていきます。
暗くなってくると、メンタルも少しずつ下降線。
トレイルへ入ると、かなりの急登が続きます。
「一歩一歩」、何度繰り返したか。
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絶景を楽しむ余裕は、無し。
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昼間あれだけ暑かったのに、日が沈むと急激に気温が下がります。
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石割山に取り掛かっている最中にライトを点灯。
石割山は、関西風に言うと、えげつない山。
山頂が近づくにつれて、どんどん勾配が急になり、ロープを握って腕力で登らなければならない箇所も。
120km以上走ってきて、ジュースだけの私は、腕にも力が入らないので、そこは息を止めて。
下りも、これまたえげつない下りで、後でもう一度この山に別ルートで登ってくるのかと思うと、確実に無理やなと思う自分。
今回は、UTMF2015やUTMBのときのように、誰かが自分を待ってくれているということもなく、周囲にはひょっとしたら途中で心が折れてリタイアしてしまうのではないかと言っていました。
ただ、スタート前、A7山中湖きらら付近で待ってるとの友人家族からのメッセージがあり、そこまでは絶対に行こうという決意がそこまでのメンタルを繋いでいました。
やっぱり、サポート、応援って大事だと改めて思います。
(結局、山中湖には色々な事情が重なり、誰も待ってなかったのですが)
■(A7)山中湖きらら(128km)~(A8)二十曲峠(141km)
午後7時55分、3時間と少しかかってA7山中湖きらら到着。
トレイル区間中は、力が入らなくなり、フラフラで、手足は膝カックン状態。
それでも徐々に徐々に順位が上がっているところを見ると、周囲の選手も自分と戦っていることが分かります。
ここは大きなエイドで、私的サポートが受けられるエイド。
選手とサポートでごった返していました。
しかし、ここも暖房が入っていたのか選手の熱気なのか、エイド食を作るためなのか、エイド内は空気がムッとしていて、気持ちが悪い。
ここからA8二十曲峠を経て、杓子山、A9富士吉田へ続いていく区間は、いわゆる修行区間で、何とか固形物を取り、エネルギーを身体に入れてから出たいと思っていたのですが、
やはり、コーラ無理、水無理、スポーツドリンク絶対無理、チョコレート無理、ポテトチップス無理。
やっぱり無理。。
ここまで飲んでは戻しを繰り返してきている胃は、何かを入れようとすると激しく拒絶します。
落胆。。。
結局30分の休憩。
この30分は、これから前半の天子山塊と双璧となる本格的山岳トレイルへ入るための自分の覚悟を決める時間でした。
行くと決心するための時間。
友人家族も居ないので諦め、午後8時25分、とぼとぼとエイドを出ました。
魔法瓶に白湯を入れてもらい、トレイルに入る最後の自販機で、ザックに詰められるだけペットボトルジュースを詰め込んで(4本)上りに向かう。
少しロードを走ると、すぐにトレイル。
鉄砲木の頭(てっぽうぎのあたま)への急登、暗がりの中、淡々と上がっていきます。
周りは木ではなく、ススキのような草地で、風が吹きつけるうえ、スピードが遅いので、体温がなかなか温まってきません。
上がっても上がっても、先を行く選手のライトが上の遠くに見え、メンタルが削られていく。
ハンガーノック(いわゆるエネルギー切れ)のふらふら状態で、前後の選手も途切れがちの暗がりの中、一人で進んでいると、マイナス思考になる時間帯が断続的に襲ってきます。
「一歩一歩」「一歩一歩」「ここが勝負」と呪文のように唱えながらの上り。
鉄砲木の頭の山頂についた記憶は微か。
すぐに今度は鬱蒼としたトレイルに入っていったような。
地図上では、切通峠、山伏峠と書いてありますが、自分がどのあたりにいるのかが分からないのが苦しい。
この区間、最後にさっきの石割山の急登が待ち構えているのが頭に入っているので、途中で急登が始まると、そろそろ石割山に取りついたのかなと期待する訳です。
しかし実際にはまだ全然手前。
立ち止まりたい誘惑、座り込んでしまいたい誘惑と戦いながら、激登、激下りを繰り返していく。
そんな最中、突如GPS時計の不穏な音が鳴り、突如点滅、そして切れる。
正確にはデータ容量オーバーで計測が止まる。
100マイルのレースでは予期しない色んなドラマが起きるとはよく言いますが、容量オーバーで計測出来なくなるとは。
ホンマにバカ。
UTMFの準備のために六甲を走っていたログを消去していなかったため、まさかの道中容量オーバーとなったのでした。
バッテリーはまだまだ余裕があったのに。。
ログを取れなくなったうえ、前のエイドから、どれだけの距離を進んできたかを確認出来なくなり、「あとどれだけ頑張れば次のエイドに辿り着ける」という心の拠り所を失いました。
しょうもないことですが、現場での落胆は大きく、予想外に私のメンタルが折れました。
最初は訳が分からず電池あるのになと、しばらく時計を触りながら歩いていましたが、データ消去してなかったことによる容量オーバーだと暗がりの中で気づき、脱力、自責感。
粘りながら登り続けたものの、とうとうライトを消して座り込む。
目を閉じると、すぐに意識が遠のき、全てを出し切った感に包まれます。
周囲には明るい天使が舞う。
「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。なんだかとても眠いんだ・・・」
選手が何十人も通り過ぎて行きました。
ライトを消してますので、突然暗闇に現れる人間を見て、抜いていく人は皆ぎょっと驚いていきます。
選手が途切れ、真っ暗闇になり、ずっと何かを自問自答していましたが、ここで夜が明けるのを待つのも危険だし、とにかく次のエイドまで歩いてでもいいから辿り着き、リタイアしようと考え、歩みを再開。
そこからも石割山へなかなか取り付けず、だいぶ進んできたと思っていたら、まだ「山伏峠」の道標が出てきてヘナヘナになったり。
途中でボラの方から、ここから石割山への急登と聞き、覚悟して突撃しましたが、ニセピークもあり。
ボランティアの方が鐘を鳴らして応援してくれるのは有難いのですが、そこが山頂で無いなら鳴らさないでほしい。
落胆が大きい。
当日、熊情報が出ていたので、対策の意味合いもあったのかもしれませんが。
石割山への最後の急登は、ロープを掴んでよじ登っていく箇所が続きます。
腕にも足にも力が入らないので修羅場です。
急登と下りを繰り返している間に、いつの間にか石割山を通過していたようで、私はまだ着かないのか、まだ上りが来るんだと思いながら進んでいるうちに、A8二十曲峠に辿り着きました。
自分にとっては最もきつかった区間が終わりました。
この区間は、次にかの有名な杓子山が待っているということで、選手には精神的に重たい区間だと思います。
■(A8)二十曲峠(141km)~(A9)富士吉田(155km)
A8二十曲峠に辿り着いたのは午前1時ごろ。
さっきのエイドからは距離13kmしかないのに、5時間弱?
救護所がテントの奥にあり、相談に行きました。
リタイアした場合に、バス等でゴール地点に運んで頂けるエイドか、夜が明けてから、自分の足で下山するエイドか(土地勘が無いので分からないのです)。
聞くと、ここは原則バスで選手を下ろすエイドではなく自分の足で下山しなければならないが、たまたま丁度30分後に選手を下ろすバスが出る予定になっているとのこと(よほど調子の悪い選手がいたのでしょうか)。
脱水とエネルギー切れによるメンタル枯渇。
怪我はありません。
ここまで来たら完走したいですよねぇというボランティアの方の言葉を受け、実際自分も這ってでも完走したいというメンタルが何故かエイドに着いてほっとすると復活し、少し休んで体調を見てみますと言いました。
毛布をお借りして、休憩所に移動して30分寝かせて頂く。
2晩目の深夜、暖かい毛布に包ると、一瞬で気を失いました。
トントンと肩を叩かれ、バスが出ますけどどうしますか?とわざわざ先ほどのボラの方が気にかけて聞きに来てくださいました。
時計を見ると、一瞬で40分ほど経過している。。
「すみません、ありがとうございます。何とか頑張ってみます」と返事している自分。
このエイドの先は、ほぼUTMF2015と同じですので、予想がつきます。
覚悟を決め、A8二十曲峠からの一歩を踏み出しました。
とにかく杓子山。
スタート前から、ある程度の時刻に杓子山の山頂まで行ければ、完走は出来ると思っていました。
とにもかくにも山頂。
とてつもない急登・直登と、両腕も使ってよじ登る岩場、そして登っても登っても折角の獲得した標高を下らされる、連続するニセピーク。
前回のようなぬかるんだ状態ではなく、最初は平坦なトレイルを行きますので走れますし、このまま行けるかなと思いましたが、上りにかかるとやっぱり力が出てきません。
途中で何度か座り休憩も入れ、岩場に入ってからは避ける場所がありませんので休みなく、歯を食いしばり、メンタルも総動員して一歩一歩登って行く。
永遠に続くかと気が遠くなりかけたときに、選手が鳴らす山頂の鐘の音が聞こえてきて、ようやく終わりが来ると安堵。
よかった、たどり着けた。。
文字にすると短いですが、杓子山、本当に長いですよ。
山頂からは急な下り。
しかしいつも走っている六甲のトレイルよりはテクニカルではなく、前回のようなドロドロでもなく、山頂をクリアして何故か急に元気が出た私は、途中で30~40人は抜かして下りて行きました。
途中で夜明けとなり、ライトもザックにしまって、快調に下りられる。
ボラの方にも「すごい!上手!足が残ってるじゃないですか!」と褒められる。
ホント不思議なものです。
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杓子山からの下りは、急なトレイルからやがて長い長い林道に変わります。
ここは周囲の選手も走っていますので、同じくらいのスピードで下りて行きました。
最後舗装路に出て、田園地帯をしばらく行くとA9富士吉田(155km)。
途中に自販機を見つけた私は、砂糖入りコーヒーを4本買い、連続飲み。
普段はブラックしか飲めないのに、何故だか砂糖入り、ミルク入りコーヒーなら飲めるのが不思議。
この頃には、ジュースでも吐き気が出るようになっていて、飲めるのは何故かミルクコーヒー、ミルクティ(午後の紅茶)だけになっていました。
ジュースを飲んでは戻し、飲んでは戻しを繰り返しながら、何とかここまでやってきました。
この大会で、桃ジュースが嫌いになりました。
■(A9)富士吉田(155km)~(ゴール)河口湖大池公園(168km)
A9富士吉田に着いたのが3日目の午前6時6分。
結局二十曲峠を出てから、5時間以上、自分と戦っていたようです。
私の中では、A7山中湖きららからA8二十曲峠が一番厳しく、次いでA1~A2の天子山塊と、A8からA9の杓子山が同格。
こんなボロボロの私でしたが、A9富士吉田までの区間で順位が40位弱上がっているところを見ると、よほど杓子山の下りを元気に下りたのでしょう。
途中で応援の方も増えてきて、エイドに着いた頃には、辺りはすっかり明るくなっており、早朝のすがすがしい空気がありました。
このエイドは室内ではなく、屋外だったため、気持ちのよいエイドでした。
ここも私的サポートが可能なエイドで、サポートの方や応援の方がたくさんで賑わっていました。
エイドに辿り着き、久しぶりに携帯を見ると、こんな早朝なのに、チーム仲間から「富士吉田着きましたね!」「あと少し!」というようなメッセージが沢山入っていることに気付き驚き。
UTMFなどの大きな大会は、LIVEで選手の位置や順位を確認できるシステムがあるのですが、気に掛けてくれていたようでした。
沁みます。
残り全部歩いたとしても、おそらく完走は可能。
完走は確信できるまでになりました。
例により、エイドのものは何も必要でないため、トイレなど済ませて23分の休憩で、午前6時29分に出発。
ゴールは10時くらいかなと予想。
しばらく前回と道が違うなと思いながらロードを行き、
最後の霜山へ取りつく。
長い長い上り。
この上り、ホントに長くて、侮れない山なのですが、登り切れば、あとは下るだけ。
(自分の中では)栄光のゴールが待っていることもあり、メンタルは保ちやすい山です。
安堵感に包まれた無心の心境で淡々と上がっていく。
前後に選手もいないので、自分の足音と息遣い、鳥のさえずりだけが耳に入ってきます。
悟りでも開けそう。
↓霜山への上り、だいぶ登ってきたところに置いてあった道標。これは鏑木さんの直筆?
本当に長かったですが、やっとピークに辿り着けました。
ここからは少し平行移動して、あとはほとんど下り。
下りも長いんですが、かなりのスピードで走れましたので、意外と早く湖畔まで下りてこられました。
↓ 最後の下り(心の中は完走のメドがたってルンルン)
湖畔に出てくると、山中湖で会えなかった友人家族のお出迎え。
並走してくれました。
湖畔を3キロ。。
最後の河口湖大橋に辿り着き、
やがてゴール会場が近づいて来るのが見えてきて、
端を下りると、湖畔をビクトリーラン。
ゴール前は時間帯的に丁度よかったのか、湖畔の道に応援の方が連なっていて、道の両側から祝福されて走っていきます。
ハイタッチをしながらゴールゲートへ。©allsports.jp
結局ほとんどレース中寝ていない。
走り終えて、やっぱり、UTMFは日本一のレースなんだろうなぁと思います。
運営、スタッフ、コース、おもてなしの心、どれをとっても素晴らしい。©allsports.jp
あの体調の中、ほぼ固形物の補給無しで、制限時間(46時間)以内に完走出来たこと自体がまだ信じられないです。
欲を言えば、ちゃんと補給が出来れば、もっともっと大会や景色を楽しめただろうし、数時間は早くゴール出来たんだとは思いますが、それも含めてレース。
完走出来れば素晴らしい。
完走出来なくてもチャレンジすることが素晴らしい。
大会を運営して下さった関係者のみなさん、家族、友人等、全ての方々に感謝します。
ありがとうございました。
スタート前は、これから体験する旅にたじろいでいる自分がいましたが、家で得られない経験をすることが出来ました。
今回も、心から参加して良かったと思っております。
家で携帯を握りしめていても人生に刻み込まれるような思い出は出来ません。
一歩を踏み出していくことが大事だな。