2014年 04月 22日
第24回チャレンジ富士五湖100kmウルトラマラソン行ってきました
今週末は、第24回チャレンジ富士五湖100kmウルトラマラソンに参加してきました。
トレイルでは、昨年、信越五岳110kmを完走できた私ですが(完走記)、ウルトラマラソンは今回が初めて。
UTMFに落選し、何か当面の目標となるものを、と申し込んだのですが、諸事情で年始から走ることが出来ず、ここ最近の月間走行100~150kmで臨むこととなってしまいました。
走るにあたり、村上春樹さんの走ることについて語るときに僕の語ることを再読。
この本を初めて読んだときには、まさか自分がウルトラにエントリーするなんて思いもしていなかったなぁ。
人によってはウルトラマラソンは、ロングトレイルよりつらいということを聞かされており、戦々恐々としながら現地へ向かいました。
パンフレットがなかなか粋。
とりあえず、駿河湾沼津ICでまぐろづくし丼を大盛にしてみる。
天気がいいので、伊豆半島がくっきり見えますね。。。
受付会場。
翌日のスタート場所となる冨士北麗公園陸上競技場横の体育館です。
ちょうど選手説明会をやっていました。
今回は直前にコース変更があり、その説明をしていたものと思われます。
スタートゲートを確認に。
明日はここからスタートして100km走って戻ってくるんだ~という緊張感、なし。
河口湖畔の宿にチェックインし、家から持参した折り畳み自転車でポタリング。
富士山が見えなくて残念。
バッティングセンターでバッティングしたら、ふくらはぎ攣りました。
ちなみに、主催者が準備した宿(富士急トラベル)は、申し込み時点でほぼ満席状態でした。
富士急トラベルで宿泊施設を確保すると、宿泊施設からスタート会場まで送ってくれますが、各自で施設を予約した場合は、自力で会場まで行かねばなりません。
早朝の3時ころに移動する必要がありますが、タクシーが確保できるかわからないですし、確実なのは車で行くことです。車があれば駐車場は確保されており、駐車場から会場まではシャトルバスがあります。
前年までのブログを見ていると、駐車場からのシャトルバスが来なくて極寒、真っ暗の中30分も待たされた、などの情報が出ていたことから、我々のチームは、宿泊施設から会場まで自転車で行くことを考え、折り畳みを持って行ったのですが、坂道が多かったのと、危険なのと、何より寒いのでやめました。
結局、前年までの経験が生かされていたのか、シャトルバスはいたってスムーズ。運が良かっただけかもしれませんが、待ち時間無しで行きも帰りも乗ることができました。
乗っている時間は10分程度ですので、座れなくても問題ありません(行きは座れました)。
桜も満開。
翌週に迫ったUTMF。
6時から宿で晩御飯。
豚しゃぶ。
ウルトラの前日だからといって、飲まないという選択肢は我々にはありません。
家からワインも持ち込みました。
いよいよ当日。
5時スタートのため、2時30分に起き、3時15分に出る予定が、緊張と興奮で?自然に2時15分に起きてしまう。
シャワーを浴び、大福2ケ、カステラ1ケ、バナナ1本、カロリーメイト2ケを食べて出発。
会場入りして、荷物を預け、さらにカロリーメイト2ケ、バナナケーキ2ケ。
トイレが少なく、待っている間にスタート5分前に。
あわただしくスタート地点へ。
タイムを狙っているわけでもなく、後方からスタート。
作戦は無し、目標タイムも無し。
とにかく自分からはリタイアしない、
収容されるまで、前を見続ける、足を出し続ける、
ということを心に誓い、走り始める。
聞いてないよというくらい寒い。
しかし、0℃って。。
半笑い。
でも、雨雪何でも来いと覚悟を決める。
手がかじかんでカメラが取り出せない。
ジェルやアミノ酸の封も切れない。
手作りの地図落とす。。。。。
これは山中湖畔。
山中湖を離れ、30km~40kmあたりの河口湖までの歩道がつらかった。
交通規制が無いので、路肩と歩道を走るのですが、
段差が多いのと、路面がガタガタ。
狭い。
信号待ちも多し。
ま、休憩すべく、赤信号になってくれと思いながら走ってはいましたが。
周囲に走っている人の会話を聞いていると、フルは3時間~3時間半くらいの人達らしいことが判明。
河口湖に近づいてくると、前日のポタリングが効いて、位置関係がわかり、助かる。
↓これはたしか河口湖の橋を渡った直後のエイド。42.3km地点。フルマラソンの距離超える。
手がかじかんで手持ちのボトルケースが開けられず、ボランティアの方に頼んで開けてもらう。
エイド間距離がだいたい4~6kmなので、私設エイドも沢山あり、ボトルは普通の人は必要ないものと思われますが、私は水が無いと途端に走れなくなるタイプですので、200mlくらいの水を常時持っている状態で走っていました。
周囲も持っている選手は多かったです。
どこまで行っても河口湖。
どれだけ走っても河口湖。
あ~河口湖。
ひょっとして「川」口湖だっけ。
河口湖、キライ。
やっと河口湖を離れたと思ったら、突如現れたのは急激な上り。
周り、猛者ばかり。
誰も歩かない。。
何で歩けへんねんと思いながら、私も頑張って走って上がる(後ろの邪魔になるので)。
↓ 第11エイド、西浜小・中学校。50.9km地点。
1回目の荷物受取場所です。
この大会は、荷物預けサービスがあり、50.9km地点と、69.2km地点の2か所に着替えや食料等、自分なりの荷物を預けておくことが出来ます。
私は、色々と考え、関門時間の問題もあるので、2つ目の本栖湖69.2km地点だけに着替えを置いておくことにしました。
ここでは普通にトイレ等休憩のみ。
ちなみに、大会が準備しているトイレは、はっきり申しまして少ないです。
ですが、公共のトイレは沢山あります。
男性の「青空トイレ」を沢山見かけましたが、よくないですね。
私はこの大会で(寒かったこともあり)トイレに7,8回行き、そのたびに5分程度待ちましたので、トイレだけで相当タイムロスしましたが、そういうもんでしょう。
我慢に我慢を重ね、西湖を通過。
まだ半分も行ってないという事実が重くのしかかる。
湖畔はくねくねと曲がっており、これから走っていく道が遠くまで見えます。
見えた方がいいのか見えない方がいいのか。。。
だんだんうつむきがちに。。
そして、とうとう西湖を離れ、楽しみにしていたうどんエイド(西湖野鳥の森公園)。
57.3km地点。
この辺は単調な上りが続き、苦しいところ。
このあったかいうどんは心に沁みました。
うどんに後ろ髪をひかれながら出発。
ここのエイド応援多し。
そういえば、ここで全身富士山の格好した選手がいたな。。
ここから、気が遠くなるような上り、下り。
この大会、思っていた以上にアップダウンがあります。
1か所、道をくぐるために、階段もあります。
50kmを過ぎてとうとう膝に違和感が来たかなと思い始め、その不安は疑念、そして確信へ。
完走できるかどうかのポイントは、自分なりには、膝と足首が最後まで持つこと、腸腰筋がやられ、ももが上がらなくならないこと、と思っていました。
まだ40kmくらいあるのに膝に来られると、最後まで持たない。
膝に負担がかからない走法に変え、ひたすら前へ。
自分の中で、最後まで行けない可能性が高いと思いながら走っていました。
ちきしょーと思いながら。。。
精進湖を反時計回りに回る。
無心。
白目むいてた?
悟りを開けそうな境地でしたね。
そして、とうとう本栖湖エイド。第3関門地点69.2km地点。
ここで預け荷物を取り、長袖に着替えます(ここまで極寒の中、半袖にアームウォーマー、短パンで走ってきた)。
そしてアクティブシェルをその上に着て、携帯をONにしてみる。
メッセージ入っておらず、チーム仲間は誰もリタイアしていないことを確認する。
折れそうな気持ちを奮い立たせ、出発。
前の写真の次がこれ ↓ でした。。
この間の25km、「ひたすら前へ」だったんでしょうね。。
自分より少し速くて、自分とリズムが似ている人に付かせてもらいました。
本栖湖で折り返したあと、よく考えてみると、あと30km。
30kmって微妙な数字でして、頑張れば何とかなりそうな気がしてくるもんです(その時点でかなりおかしいですが)
そして残り20kmまでこれば、なんとなく、見えてきました。
70km~90kmは、自分の中ではだいたいキロ6分30分~7分ペースでとにかく次のエイドまで頑張ろうと思いながら走り、エイドでストレッチして、温かい飲み物を頂いて出発、を繰り返していたように思います。
総じていえることは、ボランティアの方々、沿道の方々が本当に、ホントウニ、優しく、笑顔で勇気づけてくれること。
私は、基本的に、どのレースでも、声をかけて応援して下さった場合、出来るだけ、手を振り返したり、ハイタッチしたり「ありがとうございます、がんばります」と返事をしながら走るのですが、最後の方は、もうその気力も失われつつありました。
ひょっとしたら無愛想な状態になっていたかもしれません。
本当に温かいおもてなし。
感謝以外の言葉は思い浮かびません。
最後から2つ目のエイドを超えると、残り5km。
最後の難関。
強烈な上りが約3km?にわたって続きます。
ほとんどの選手は精根尽き果てて歩いています。
しかし、ワタシ、走りました。
歩いてるのとスピード変わらなかったかもしれませんが、走りました。
「少なくとも、最後だけは歩かなかった」
もう少しで上り終わる!!!!!
最後の下りへ突入。心の中ではやった~、俺はやったんだ~という気持ち。
実際、やった~と叫びながら走る。
ゴール手前で、名前とエントリー時に記入した言葉が読み上げられる。
人間の涙腺って、そんな前触れもなく緩むの?っていうくらい簡単に涙が溜まってきました。
ゴールテープを切り、今まで走ってきた道に向かって深く一礼し、私のレースは終わりました。
選手を待つ荷物の群れ。
ボランティアの高校生?走って取りに行ってくれるんです。
順位は459位/完走者1189人だったみたいです。
100km男子の完走率は64.1%。やはり過酷だったんだな~。
私のGPS時計、102km走ってます。
途中からずっと、道の距離表示と自分の時計が合致しておらず、頭で計算しながら走っていました。
実は100kmより長かった?
(余談)
打ち上げは、大阪で応援してくれていたお仲間とグランフロントにて。
世界のビールを堪能。