「悩む」と「考える」は決定的に違う

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弁護士という仕事は、人の悩みに毎日向き合う仕事です。


精神的にはかなり負担の大きい仕事です。


役所の法律相談などに行きますと、悩み・「負」のオーラを数時間にわたって浴び続けますので、終わった際に、どっと疲れが出ることも少なくありません。




人は必ず悩みを抱えています。


能天気に生きているような方でも、必ず。



ただ、感情に流され、どんよりとした気持ちで毎日を過ごしてもろくなことはありません。


マイナスの感情はマイナスの出来事を生みます。


他人への攻撃感情は、自分へ跳ね返ってきます。


悩むことをやめ、事態を打開するために、自分はどのような行動を取るべきか、と建設的に考える方向へシフトしていくことが重要です。


最近、ホリエモンこと堀江貴文さんの「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」という本を読んだのですが、堀江さんは、こう述べています。





多くの人は混同しているが、「悩む」と「考える」の間には決定的な違いがある。まず、「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々とする。わざわざ問題をややこしくし、袋小路に入り込む。ずるずると時間を引き伸ばし、結論を先送りする。それが「悩む」という行為だ。
一方の「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。複雑に絡み合った糸を解きほぐし、きれいな1本の糸に戻していく。(中略)完結な原理原則にまで落とし込んでいく。それが「考える」という行為だ。
物事をシンプルに考え、原理原則に従うこと、理性の声に耳を傾けること。それはある意味、湧き上がる感情とのせめぎ合いでもある。(中略)感情を退けて下す決断は、ときに大きな痛みを伴うものだ。
ただ、これだけは確実に言える。感情に流された決断は、迷いがつきまとい、後悔に襲われる可能性がある。しかし、理性に従った決断には、迷いも後悔もない。過去を振り返ることなく、前だけを向いて生きていくことができる。
どれほど複雑に見える課題でも、元をたどればシンプルなのだ。シンプルだったはずの課題を複雑にしているのは、あなたの心であり、揺れ動く感情である。そして自分の人生を前に進めて行くためには、迷いを断ち切り、シンプルな決断を下していく必要がある。決断できなければ、いつまでもこの場に留まり、「このまま」の人生を送るしかない。

私が依頼者・相談者に対峙するときに心がけているのは、物事をシンプルに理解して頂くこと。


小難しい言葉は使わず、なるべく平易な言葉で、現状分析、見通し、想定されるリスク、最も理想的な解決、一番好ましくない解決、今後取るべき態度、自身に与えられている法的な手段を説明するように心がけています。


特に依頼者が心配されるのはリスク面や将来の不安。


当然、事件にはコントロール不能な相手方がいる訳であり、相手方はどう動いていくかわからないわけです。


あれこれと起きてもいないことを先回りして悩んでも仕方が無いわけです。


依頼者が将来の不安を述べたときの私の口ぐせ。


「そうなったときに考えましょう!」


今できる最善の方法を考え、それを実践し、万が一、希望しないようなことが起きてしまったら、またそのとき考え、最善を尽くしましょうという趣旨です。


様々な法律問題が絡み合うほか、過去に起きた苦しい出来事と、予想もつかない将来のはざまで、どうしてよいか分からない人たちが私の事務所を訪れます。


本書を読んだとき、私が普段考えていたことが言語化されている!と心の琴線にふれました。


依頼者の方は、初めて相談に訪れた際には、「悩み」「感情」の渦の中、ぐるぐると回っていらっしゃる。


そこを、「考える」「決断する」という方向へ導くことができれば、私の存在意義があるのだと。



「悩む」と「考える」は確かに違う。


私は、前向きに「考える」人間、「考える」方向へ導くことができる弁護士でありたい。


以上、引用は全て堀江貴文著「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」より。




by suyama4168 | 2015-02-24 20:41 | 読書の備忘録 | Comments(0)